2012,8,10 網干〜新宮〜相坂峠〜作用〜万能峠〜美作〜勝間田〜津山〜院庄〜山根〜久世〜勝山〜首切り峠〜新庄〜四十曲峠〜米子〜松江〜宍道〜出雲空港ー伊丹空港

「出雲街道ナイトラン」

出発直前、突然の雨

「バケツをひっくり返したような」という表現がぴったり当てはまるほどの激しい雨。さらに「ドッカーン」という雷の音。文字では表現しきれないほどの、耳を劈くようなこれも激しい雷。最近のゲリラ豪雨にも若干慣れてきたと思っていたのに、これほどまではと想定外の激しさに思わず肩に力が入った。

何かを予感させるようなそんな感じもするほどのびっくり豪雨に、今から走る道程に若干の不安が過ぎったのもあながち間違いではなかったかもしれない。

ロングライドには確実性はない。すべてが未知数であって、初めてロングライドの意味がある。どこまで行けるか?何が待ち受けているか?予想ができないところが最大の魅力かもしれない。

「挑戦!」

この言葉がぴったりとくることが人を惹きつける。             

阪急仁川駅から電車に乗り、西宮北口で乗り換えさらに三宮で阪急からJRに乗り換える。さらに姫路で山陽本線へ乗り換えて網干で電車を降りる。電車での移動時間は1時間半ぐらい。通勤時間帯にもかかわらず比較的スムーズに移動することができた。輪行の場合荷物が大きくなるため、どうしても通勤時間帯のような込み合うのを嫌う傾向になってしまう。単身の場合は(二人ぐらいまでならなんとか)まず問題にならないぐらいスムーズに移動できてしまう。「案ずるより生むがやすし」というところか。

網干は姫路より3つ目か4つ目ぐらいの駅だったと思うが、思いのほか寂しい町だった。仕事終わりだったので、まずはしかっりと食事をとってからと楽しみにしていたのに見渡しても食事ができるような場所が見当たらない。

それ以前に問題発生。

自転車の組み立てはスムーズにいったものの、最後にタイヤの空気圧をチェックしたところ後ろのタイヤが空気圧不足に気づいた。今回はチューブラーの650cなので、言ってみればまず普通には手に入らないサイズ。そこでスペアタイヤを持ってゆくのが当たり前なのだが、ツーリング直前で650cのタイヤの在庫が無い事に気づいた。後ろタイヤは新品に交換したばかりだし、前はまだいけそうということでなんとスペアタイヤ無しという決断で今回のツーリングに臨んでいたのだ。

後ろタイヤが空気不足に気づいてまずドキッ!。やばいか?

1mも走らずにリタイヤなんてはカッコにもならない。どうかパンクで無いことを願った。まず、インシュレーターで空気を入れてみると、なんとか入るのは入るのだ。しかし、しばらく経つと圧が下がっている。これはまずい、真剣にまずい状況だ。若干焦りを感じた。再度トライしてみるが結果は同じだった。しばらく、途方に暮れる。

まずは落ち着いてどうすべきか考えることだった。

どんな状況では、焦ると状況はどんどん悪くなる。しばし、冷静になって手を考える。タバコでも1本吸えば良いのだろうが、私はもう長いことタバコは吸っていない。

今回はリアはZIPPの初期型のホイールでカーボンのディープリム。タイヤのバルブにエクステンションバルブを繋いでいる。

もしかしたら?と思いバルブを閉め直した。

案の定、エクステンションバルブが緩んでいたのだ。空気を入れなおしてみると、タイヤは硬くなった。大丈夫かも知れないと、期待が膨らんだ。

しばらく走ってみる。大丈夫だった。やった、ひと安心だ。まるですべて終わってしまったかのような開放感に襲われた。不安感が取り除かれすっかり暗くなった網干の町中を軽いペダルで走り始めた。

すっかり、夕ご飯のことを忘れてしまっていた。と同時に、急激にまた空腹感が甦ってきた。

しばらく走るとガストがあった。しめたとばかりに、ここでまずは腹ごしらえすることに決めた。時間は夜8時少し前。十分に時間はある。飯を食べながらこれから先の道程を考えようと思った。

和風ハンバーグ+サラダバー食べ放題+カレー食べ放題+デザート。こんなに食べちゃっていいの?といわんばかりの大食いに、まあこれから250km走しるわけだし、十分にエネルギー充填しておかなければと、食べた食べた(笑)

だけど、ファミレスのメニューってなんでこんなにも安くなちゃたのだろうか?カレー食べ放題といってもそんなに食べれるわけでもないのに。蛇足というやつだ。

うれしいやら、あきれるやら。

出発は午後9時に決定。

そして、いよいよ走る時間がやってきた。

いつもこの時点では焦っても仕方がないことなので、途中だめだったらリタイヤすればいい。都合よく気持ちのよいところで終わって電車に乗って行けばいい、などと考えながらのスタートになる。

結構、ゆるゆるの気持ちだったりするんですよね。

誰に見られているんでもないし、監督は自分自身なわけだから、監督が良いといえばそこで終わろうがどうしようが勝手なわけです。そういう意味では気楽というか、だらだらというか、緊張感のないように見えますが、これが走り始めると気分はガラッと豹変するのです。自分であって自分でない、第2の自分が現れてそいつが監督になっちゃうんです。

別の人格ってやつですか。

そいつがまたストイックな奴でして、苦しくても止まろうとしない。おいおい、そんなに追い込んでしまって大丈夫かよ?とゆるゆるの自分が思っても、一向に許してくれないんですよ。そんなモードに突入すると気がつけば3時間走りっぱなしということもしばしばあります。それはそれで、しかたのないことですけれど。

ナイトランは一見危険そうな感じに見えますが、実際は昼間走るより、ずっと安全ではないかと思います。まあ、自分自身の存在をしっかりと相手(自動車側)にアピールできていればの話ですが。たとえば、ライトオン、尾燈もそうですね。反射板でのアピール、等々です。

足元路側帯の路面状況判断ができるような明るめのヘッドライトがあって、それなりのスキルと経験があれば大丈夫です。

危ないと思うのは、深夜のトラック、それと飛ばし屋の車、飲酒運転の車等ぐらいでしょうか?深夜のトラックについてはしっかりとアピールできていればほとんど遠避けて追い抜いてくれます。それに、昼より絶対的にトラックの量は少なくなります。むしろトラックがいなくなると寂しいくらいです。

深夜は飛ばし屋が多くなります。しかし、対向車も少なく逃げる場所は沢山あります。ですから、ものすごく飛ばしていてもさほど怖いと感じたことはないですね。後は足元の段差とか穴とかに注意していれば大丈夫です。

それと、対向車のライトの明かりが眩しいですね。まったくといってよいほど目潰し状態に陥ってしまいます。そんなときにはひたすら五感に頼って走ることとなります。こんな時のためにも日頃から五感を鍛える必要がありますね。

夜は周りの景色も見えないですが、そのぶん集中して走ることができます。そのような状況は、ロングライドにはもってこいなのです。

出雲街道は現在の179号線になります。ですから、179号線の標識を確認しながら走ればしばらくは迷わずに走れるはずです。たまに落とし穴がありますが。

網干〜新宮〜相坂峠〜作用〜万能峠〜美作〜勝間田〜津山

津山までがまずはワンクールというところでしょうか。津山まででも2つほどの峠がありますが、淡々とこなしてゆけば問題なくクリアできるところです。

網干〜津山間は身体もフレッシュ、気力もフレッシュ、不具合もなしという時間帯なので快適に走ることができました。途中、一度道に迷いiPADで位置確認を。こんなときは迷わずGPSですね。助かります。体力的なロスも最小限に抑えられますし、無駄が省けます。

峠はさほどきついというわけではないのですが、そのかわり真っ暗です。そんなときに限ってトラックも一台も通らなかったりとお化け屋敷状態になってしまいます。お化けは怖くないと自分に言い聞かせ、思わず鳥肌が立つときはペダルを思いっきり回し、ヒルクライムの辛さで怖さを忘れることです(笑)

森が突然ざわざわと動き出します。そのざわざわが私と一緒に並走して行くのです。何が走っているのかは想像にすぎませんが、猪だったりとか、たぬきだったりとかするのでしょうが、とにかく森の中をざわざわと走ってゆくのです。まるで私に取り付いているかのようにすぐそばの茂みがざわざわと動いているので、不気味です。

ホタルも飛んでいました。一匹だけでしたが、はっきりと見えるのです。そのぐらい周りは真っ暗です。うっすらと光が浮かんだと思ったら、消えたり。遠くのほうで、赤ちゃんのような声が聞こえたりと、夜の峠越えは本当に楽しいです(笑)

峠を上りきって急いで下ると民家の灯りがポツポツと見え出します。思わずほっとしますね。

網干から津山までは約80km。大体17〜18km/hのペースで進むことができます。途中ローソンで休憩を入れて距離を伸ばしてゆきます。

今回の自転車ではいろいろなポジションを取れるようにしました。定位置のノーマルポジション、アップライトで走れるリラックスポジション、肘を付いて走るDHポジション、この3種類です。

同じ姿勢で走っているとすぐどこか痛み出したり、不具合が起こったりします。ですから、ひっきりなしに、お尻の位置を変えたり、手の握り方を変えたり、手の位置を変えたりします。些細な痛みでもそのまましばらく我慢して走り続けると致命的になりかねません。

皆さん、ロングツーリングでは必ずと言っていいほどお尻が痛くなりますよね。走り始めは少し痛くても我慢してしまいます。それがいけません。

徐々に痛みは辛くなり、ついには我慢できなくなるまで痛み出します。そうなるとどうしようもありません。その時点でリタイヤするしか方法がなくなってしまうのです。

それを防ぐには、初めのささやかな痛みの段階で処方する必要があります。

サドルがあっていないとかハンドルが遠すぎるとか自転車側の不具合というか調整不足があったとしても、意外と人間側で解決することができたりするものです。

サドルであれば、ひとつには小まめに前後左右の座り位置を変えてやることです。

頻繁に変えてやりましょう。ひと所だとその部分が鬱血して痛みがでてきます。同じ部分が当たっていると皮膚がこすれて炎症を起こしたりひどくなると皮が剥けてしまいます。

サドルはいろいろなポジションを取れるだけの形をしています。上半身のフォームによっても、お尻の位置は変わりますので、フォームとセットで考えたほうがよいかもしれません。

私は長年の経験でお尻の不具合はかなりの部分で解決してきました。最近ではどんなサドルでも長い時間乗り続けることが可能となりました。モノにすべての責任を押し付けるのではなく、自分自身のスキルを上げてトラブルを解決してゆくことが大切です。

それとハンドル周りですが、これは背中にザックを背負っているかどうかでもかなり違います。ロングツーリングの場合はやはり荷物が多くなることが普通なので、肩の凝りとか痛みに悩まされます。

どうしても肩の痛みがきついときはザックをハンドルにくくり付けて走ったこともありました。しかし、その場合はフロントホイールの不安定さが増し、走行に影響します。

ですからできる限りザックをおろさないで痛みから逃れる方法を考えなければいけません。その解決法が3種類のハンドルポジションです。

今回のツーリングではおかげで肩の痛みからはなんとか逃れることができましたが、ハンドルポジションについては200kmを超えるあたりからもっと違ったポジションで走りたいという欲求がでてきました。

ハンドルの角度を変えたり、位置をずらしたりしてできる限りの位置変えを試みましたが、決定的な効果は得られず次への課題となりました。

しかし、今回のツーリングで驚いたのはDHポジションが思いのほか楽だったことです。公道で走るには安全面でお勧めできないポジションではありますが。

バランスのとり方が非常に難しいのと、ブレーキがすぐかけれないことがネックとなり長い間そのポジション、姿勢をとり続けることはできませんでしたが、バランスと安全面でクリアできたならば、長距離ライドには効果的であることがわかりました。特に腰に対する負担が少なくなります。ザックの重さがハンドルにもたれることで軽減されるみたいです。できれば次回今の自転車を改良するのであれば、ハンドル周りの自由度をさらにあげる工夫をしたいと考えています。

ロングツーリングを楽しまれる方にとってはハンドル周りの自由度は高ければ高いほど良いですね。

深夜1時過ぎぐらいに津山へ到着。

津山は妻の実家がある場所。しばらく住んでいたこともありこのあたりは隅々までよく知っている。城下町で桜の咲く季節は本当に美しい。山々に囲まれ自転車で気持ちよく走れるところが沢山ある。

JR津山駅のベンチで少し長い休憩を取る。体力的にはまだまだ大丈夫だがやはり気になる所は、腰の痛みと肩の痛みだ。

身体を伸ばし、ストレッチをする。血行を促し筋肉のコリをほぐす。そうすることによって、痛みが消え、再度身体が甦る。水分の補給も大切。しかし、あまり冷たいものを急激に飲みすぎるとお腹が拒否反応を起こすから、そこそこにしなければいけない。さらに補給食を取る。しばらく横になりくつろぐ。激しい眠気に襲われるかとも思ったがさほど眠気はない。

気力と体力が充実して、再度スタートを切る。津山から179号線をしばらく走った後は181号線に入る。181号線に入るとそこからは長い長い上り基調の道となる。

さあ、四十曲峠へ向けての試練が待ち受けている。

津山〜院庄〜山根〜久世〜勝山〜首切り峠〜新庄〜四十曲峠

ほとんどが上り基調。

首切り峠。この地名を聞いただけで「何かある?」と思わない人はいないだろう。帰ってから調べてみるとこんなことが分かった。

それは江戸時代の出来事だった。

津山藩松平浅五郎がこの地を収めている時に、山中一揆が起こった。厳しい年貢の取立てと米の不作が重なり、どうしようもなかった農民たちが、立ち上がり一揆を起こしたという。その中で新庄村の首謀者5人が、今井川原で斬首されこの峠でさらされたという記録が残っているらしい。さらにこの峠だけではなく、多くの農民が近くの峠にさらし首になったらしい。そんな忌まわしい歴史がある地域なのだ。

これは今このレポートを書いている時に調べて初めて分かったことでツーリングの時にこのことを知っていたならどんなに不安だったろうか?そんな霊感スポットを走っていたわけだが、全然霊感を感じなかった私は鈍感なのだろうか?

久世のあたりを走っている時に、ガスがかかってきてライトの灯りが遮られてしまった。目の前は白いカーテンにライトを当てたようになりその先は、まったく知りようもない中を走っていた。唯一足元の白線を頼りにひたすら距離を稼ぐしかなかった。

そんな走ることに集中するあまり、そんな場所を走っているとはつゆも考えもしなかった。このあたりの地域がそんな歴史を経て今があるということも不思議な感じもする。

4時過ぎごろ、首切り峠に差し掛かった時はすでに回りは薄っすらと明るくなっていた。

山の朝は清清しかった。顔に朝もやの水滴が付き汗と交じり合って頬を伝う。黙々と標高を稼ぐと自然の中に取り込まれるように心身ともにリフレッシュしてゆく感じがした。眠気もまったくといってよいほど感じない。何か新しい身体を天より与えられたような感じだった。

首切り峠を過ぎ、美甘村からさらに6kmほど走ると、メルヘンの里がある。

いままで走ってきたおどろおどろした寂しい農村とは打って変わってまるで場違いのようなおとぎの国へ登場するような建物が建ち、いかにも観光のために取ってつけたような施設が建ち並んでいた。

そろそろ、身体はかなり苦しくなりつつあった。肩、腰、腕、手といろいろなところから悲鳴を上げようとしていた。

道の駅のトイレに入り顔を洗う。頭からすっかりシャワーでも浴びたい気持ちだったがそれはかなわない。周りもすっかり明るくなり通りの車の量も増えてきた。農家では、朝早くから農作業が始まり、一日の始まりを感じさせた。

最難関とされる四十曲峠まで後数キロだ。峠のトンネルを越えると下りに入る。昨日の9時にスタートしてすでに8時間を過ぎようとしている。

しかし、ここまでは夜中の気温の低い時間帯、特に朝方は20度を切るぐらいの気温だと思う。走るにはもってこいのコンディションだった。

四十曲峠を通過する。

そして日が昇り地獄が始まった。トンネル最後の上りを淡々とこなし、比較的長めのトンネルをハイスピードで走り抜けた。

「 下りだ!」

スピードが乗る。それでも頭でっかちなので、前輪の安定感は低く50km/hほどのスピードしか出ない。それでも十分速いように感じる。日野川に出ると右折して川沿いをひた走る。距離は伸びているがなにか息苦しさを感じるようになった。

日が昇り太陽の光が直接当たるようになる。なんだこの暑さは。まだ7時前だぞ。あたりは出勤の車がどんどん増えて並走するようになってきた。渋滞もちらほら見える。

コンビニで休憩することとした。

冷たい氷菓子とオレンジ水を、朝ごはんとしておにぎりを2つ購入。しかし、外で食べるところを探すが朝日が直に当たり暑さをしのげるところがない。結局裏手のゴミ置き場のようなところでおにぎりを頬張る。

目の前には畑がありピーマンの収穫を行っている。農家の人は朝の一仕事を終えペットボトルの水を飲んでいる。朝方ののどかな農村の風景だ。

しかし、車が多い。田舎は車が多い。後から後からどんどん道路を埋め尽くしてゆく。

そして暑さはその過酷さを増していった。

暑さからだろうかペースが一向に上がらない。車が追い抜いてゆくが信号でまた追いつく。そんなことを繰り返して距離をかせぐ。もうすぐ、米子の市内に入る予定なのに緩やかなアップダウンが体力を奪ってゆく。

いつのまにか、辛さをこらえる自分がいた。残り平坦基調で距離として50kmほどなのに、なぜか遠く感じる。15km/hで巡航しても3時間でクリアできる。楽勝なはず。なのに5kmを走るのに時間がかかる。それも身体を気遣って一定のフォームで走ることができない。限界が近いと感じた。

宍道湖も見えてくるが感動する余裕さえなかった。今はひたすら身体の痛みに耐えて距離を稼ぐのみ。9時前ぐらいになると眠気も襲い朦朧としてくる。ローソンタイムも多くなり水分の補給も増えてゆく。

玉造温泉の前で再度休憩。ポジションが取れなくなってきているので、なんとかリフレッシュするため、工具を使ってハンドルの角度やら、エンドバ−の位置を変えたりする。身体中が重く意識も朦朧としてくる。

気温も33度ぐらいはあるだろう。まだ9時前なのに・・・。

夏場は日中を走るのは無理なのか。この猛暑の中ではとても走る気力がわかない。少しずつ繋いでゆく。それしかなかった。

そして何度か休憩を重ね、宍道湖の終わりが近づいた。

あっ!空港だ!滑走路が見えたわけではなかったが、建屋がそれ風なのが空港に違いないと感じた。空港と反対側の山手に湯の川温泉がある。

そこまで走ろう!最後の気力を絞って温泉を目指した。

温泉街の入り口に看板があった。それらしき温泉に行くには入り口からさらに1.6kmほど走らなければいけない。しかし、その1.6kmが異常に長く感じられた。

最初に入った宿では宿泊のみだということで断られた。そしてさらに500mほど上った湯の川郷でやっと温泉につかることができた。館内の受付で「温泉に入りたい」との趣旨をつたえると500円で大丈夫ということだった。良かった、安い!

そして身支度をして男湯に向かう。

閑散としたお風呂には自分の他一人しか入っていなかった。身体にヌル湯をかけて湯船に浸かる。湯船のヘリにあたる部分で横になる。

・・・・・・・・。

どれほどたったのか、ふと気がつくと一人だった。しまったと思ったが、まだ10分も経っていなかった。それほど眠かったのだ。こんなところで寝てしまってはいけない。空港まで行ってから寝ようと思った。

フライトは夜の7時30分。時間はまだ十分にある。

ここにきて物凄い眠気が襲ってきた。立っているのもままならないほどの眠気だ。ぼーっとして、何を考えてよいのかよく分からない。本来の目的地の出雲大社のはずも頭の中からすっ飛んでしまっていた。なぜなら、ここから15kmも離れているので、さらに空港へ戻るには帰り道を15km走らなければいけない。往復30kmだ。

今はもう1kmたりとも走れる状況にはなかった。それほど眠かった。そうだ!そばでも食べて早めに空港へ行こう。そう考えることが自分の中では当然のようになっていた。

出雲そば、冷たく歯ごたえのあるそば。そうだ!もう自転車終了なのでビールも飲もう。俄然元気がでてきた。ほぼ15時間250km、走りっぱなしだった。今、身体はもっとも飢餓状態にあるはずだ。あめ色の水分と水水しく歯ごたえのある炭水化物が最高のご馳走になるに違いない。

空港近くの「波積屋」。そば道場なる建屋もありなかなかの構えのお店。店内は古民家を改装したような太く荒削りの大黒柱。そしてやさしく丁寧なお店の店員さん。どれをとっても最高のロケーションだ。

ビールと山菜そばをオーダー。至福の時間が始まる。

夏のツーリングとビール。これはまさに定番。身体が脱水状態の時のあののど越しはなんとも言えず、すばらしいものがある。あっ、今自分は生きているんだと思わせてくれるようなそんな一瞬なのだ。

あえてどこどこのブランドとかは言わない。どんなビールでもOKである。冷たく冷えたグラスに注がれたビールであればなんでもいい。グラスに付いた水滴が今まさに冷凍庫から出されたばかりの凍り付いているジョッキならなおさら最高だ。名づけてフローズンジョッキビア。

あ〜〜〜あっ。飲みて〜〜っ。

さすが本家そば屋、そば湯も付いてくる。こしがあって若干細めの色黒のそば。大盛りでたらふく食べた。

満腹、満足。

身体が固まり始めている。それにつけ、眠気も最高潮に達しようとしている。それでもまだ、飛行機での帰りがあるので、自転車の梱包をしなければいけない。

最後のガンバりだ。

「出雲縁結び空港」これが正式名称らしい。

伊丹よりはずっとコンパクトだが小奇麗な空港だ。荷物係の係員に「自転車の梱包をしたいんですが、中で作業してもいいですか?」と聞くと。爽やかな笑顔で「どこでも良いですよ。」と答えてくれた。

ロビー内の涼しい場所で梱包に取り掛かった。

地方空港なので、乗客は少ない。ほとんどが仕事関係らしい。飛行機の手荷物として預ける場合はできるだけコンパクトにすること。縦、横、高さの合計が確か250cm以内だったと思う。700cのバイクならほぼこれに近い数字になる。私の今回のバイクは650c。合計が220cmぐらいには収まってしまう。これは梱包するときにサイズを気にせず梱包に専念できるので、ストレスがない。モノが小さければ壊れにくい。700c用の輪行袋に詰め込むので、すぐ入ってしまう。運びやすい。650cだからと言って700cとパフォーマンスはさほど変わらない。

650cは良いこと尽くめなのだ。

梱包が完了し、フライトまで3時間ほどあるので寝ることにした。

飛行機はプロペラ双発のコンパクトなものだった。天候は穏やかで快適なフライトが楽しめた。私が15時間かかって走った距離をほんの40分ほどで、いや実際はもっと短い時間で飛んでしまう。

自転車で走ることになんの意味があるのだろう。ふとそんなことを考えてしまう。

着陸寸前の大阪城上空を通った時に淀川だろうか花火が行われていた。とても綺麗だった。「今年は花火を見に行こう。」そう思った。

今年2回目のロングツーリングは終わった。

完璧だったかと言うとそうでもない。じゃ失敗かというとそうでもない。とても充実して自分の自転車経歴の1ページになったと思う。

ツーリングにはドラマがある。次回もきっと楽しいドラマが待ち受けていると思う。