「六甲山ヒルクライム、女のチャレンジ」

「女になにができるだ!」

ひと世代前ならまだしも、今時こんなことをいう人はまずいないのではないでしょうか?なでしこジャパン、澤選手が現れてから俄然女子サッカーは強くなりました。女性は今、何に対してもハングリーなのです。山にも登る。マラソンも走る。まさに現代女性は自信に満ちています。

そして私たちは自転車を選んだ。かっこいいでしょ。             

どう!「かっこいいって言いなさいよ!」そのぐらい自信に満ち溢れている私たち。チーム「このはなさくやひめ」のリーダー植中優子は、今、ヒルクライムに燃えています。

ヒルクライムをすることになったことの初めは、チームが本格的にツーリングをし始めた頃にあります。サポートを受けているバイクショップの店長さんより、「ツーリングを楽しくこなすには、坂道の登りを練習することだよ。」と教えられたことです。

当時、私は大の登り嫌い。とてもじゃないけれど、上りなんかで一生懸命になるつもりはありませんでした。平らな河川敷をひたすらポタリングを、楽しんできました。それでも良かったのかもしれないけれど、自然と距離が伸び、走るスタイルも速さも変わってくると、少しずつ知らず知らずいつの間にか上っていたのです。

後で気がつくと、店長さんの言葉がなるほどと思えるようになっていたのです。

私は、一昨年富士スバルラインヒルクライムと乗鞍ヒルクライムにチャレンジしました。どちらも途中休憩を入れてののんびりヒルクライムですが、なんともいえない達成感が私を捉えてしまったのです。まあ、富士と乗鞍はロケーションも抜群なのでどなたが登っても感動ものだと思いますが。

人車一体感。

皆さんはこの感覚を味わったことがありますか?

思うがままに自転車が扱える。自分の意思に自転車が答えてくれる。ぐんぐん距離が伸びる。疲れを感じさせない。自分があたかもパワースーツを着たような、まるでスパイダーマン(女だからウーマンね)のように自由にビルとビルの間を飛び交うことができるように、自分の手となり足となる感覚を味わいました。

自転車は私の身体の一部、自転車のどこかに不具合があったとしたら、それは自分の不具合と同じで、手足が痛くなるようなもの。自転車のわずかな調整ずれでも気分が乗らなかったりする場合があるので、自転車は、いの一番に手入れしています。

私はあんまりモノにこだわるほうじゃないので、自分の体になじんだ自転車ならばどんな自転車でもOKです。店長さんがいうように、肝心要(かんじんかなめ)なところをしっかり見れるようになるといっぱしの自転車乗りだなと言うけれど・・・。でも、か弱い女性にとって自転車のメカは苦手。早く理屈を憶えようとしているんだけれど、まだまだかも知れません。

前回のレポートは富士山ツーリングでサイクルスポーツに初投稿しました。そして、あれから2年、私たち「このはなさくやひめ」は今ヒルクライムにチャレンジしています。

驚かないでよ!目指すは六甲山一軒茶屋!キャーッ!

関西ではヒルクライムと言えば「六甲山」と相場は決まっています。私たちも六甲山と言えば、とてもじゃないけれど歯が立たないと思っていました。気が遠くなるような急勾配。いけどもいけども続く九十九折れ。鼻血の出そうなほどの頂上なのです。というか、そのような発想は私達の頭の中にはすっかりなかったのです。なんといっても勾配のきつさ最大勾配が20%を越す場所もありますから。

六甲山へは阪急の逆瀬川駅から逆瀬川沿いを上ります。ゴルフ場を抜けて盤滝までが前半です。盤滝までは比較的勾配は緩く健脚なクライマーはハイスピードで上ってゆきます。

問題は盤滝からです。

盤滝からはぐっと斜度も増し難易度も高くなります。それこそ淡々と黙々と走ることを強いられます。自分との戦いが始まるのです。盤滝からはいくつかの九十九折れがあり、小さな橋が架かっています。それらをひとつひとつクリアして、上ってゆくわけです。

ゴール手前2kmほどのところに宝殿という自動車道の料金所があります。その少し手前が最大の難所なのですが、宝殿まで辿り着くとほぼ六甲山をクリアしたことになります。ゴールは一見茶屋。その昔はおいしいビールが待っていたのですが、今はお断りされます。当然ですね。ビールは帰ってから楽しみましょう。

もちろん、私たちがいきなり六甲山にチャレンジしたわけではなく、宝塚近辺の有馬温泉へ行く有馬街道蓬莱峡の上り、武田尾温泉へ向かう十万辻の上り、箕面の勝尾寺への上りなどをこなした結果行き着いた六甲山なのです。


それでは「このはなさくやひめ」の六甲山ヒルクライムチャレンジのことを話しましょう。

「六甲山へ登りたい。」と言い出したのは、実は私ではなくチームのメンバーのひとりでした。丁度昨年の鈴鹿ロードがあった7月頃。皆、鈴鹿に向け練習を重ねていました。もちろん、練習すればするほど走れるようになってくるわけで、皆のモチベーションは日増しに高くなるばかり。

それまで、平ペダルで漕いでいたひとりの子がビンディングに変えたと思ったら、とたんにまわりに波及してビンディングがあたりまえになってしまう。それほど走ることに熱心になっていたのです。

自分たちが成長することがどれだけ嬉しいことかはだれでも経験のあることだと思います。以前はあんな坂、無理!と決め付けていた上りが気づくといつの間にか頂上へ辿り着いている。そんな体験を今「このはなさくやひめ」のメンバーは身をもって体験しているのです。

ですから、「六甲山上りたい!」という声もいたって普通にあたりまえのように出たのです。

皆が言うのであればしかたがない。「私が人肌脱ぎましょう。」てなもんで。皆で頑張ることになったのでした。それが昨年2012年の初めだったでしょうか?まだ秋とか冬のほうがヒルクライムにとっては走りやすい。なぜなら、氷点下とかというめちゃ寒い時期を除いたら、寒いぐらいのほうが体力は長続きします。それに対し夏場のヒルクライムは暑さの地獄となります。

ヒルクライムというとカッコイイのですが実はとても辛く苦しい。どうしてこんなことをするのだろう?と思うときがあるが、その答えはまだ見出せないままになっています。ただ、苦しさの中でなにか自分にとって活力となるようなモノがこみ上げてくるのは確かで、登るたびに辛かったと後悔するのですが、再び元気を取り戻すとまた登りたくなってきます。

そこでまずは、店長さんにどうしたらヒルクライムをこなすことができるのか尋ねてみました。店長さん曰く、自分も(人間も)自転車も極限まで無駄をなくすこと。必要のないものを付けない。できる限り軽くする(人間も含めて)。

女性の場合、お洒落が大事。

だから、なんだかんだといらぬ物でお洒落したい気持ちでいっぱい。でもヒルクライムの時は女を忘れ登りに徹する精神で望む。これが大事だと言われます。

女を忘れる?

ちょっぴり勇気が要りそうだけど、忘れてみるのもいいかも。がむしゃらに向かう姿ってカッコイイかも?最近すっぴんのタレントがかっこいいのも世の流れかな。私たち流行先取りって感じ。これからはすっぴん勝負よ。

それと店長さんは難しいことも言います。

「ヒルクライムは誰と競うことのない自分だけの世界。ひたすら自分の体と対峙してペダルを回す。苦しさも自分なり。」

判るような、判らないような。

私たちはノリだから。ほんとにパワーのみね。難しいことは考えないし、考えられない。いきなり六甲山とか言い出したら、腰が引けてしまうのは当然だと思う。しかしながら、登りの感触をまずはゆるい坂道で体験しながらだったので、どのメンバーもさほど抵抗感はなかったように思う。

むしろ、チャレンジ精神のほうが勝っていたようだ。

練習初めは、まずコース前半の盤滝まで。ゆるめとは言っても、それなりの勾配の直線をこなす必要がある。逆瀬のバスターミナルから出発し、まず逆瀬川に沿って上る。

いつものことだが、走り始めは少し緊張する。

今日の身体は大丈夫だろうか?果たして走りきることができるのか否か?やっぱり苦しいんだろうな?とかを考えながら走り出す。反面、もう走り始めたからには気合を入れて、覚悟を決めて望もうとも考えている。だから、走り始めは苦しさへの入り口となるわけだから、その苦しさがどのような形で来るのかを少し身構えしながらペダルを回す。

少しずつペースを上げ、まだ大丈夫まだ大丈夫と自分に問いかけながら、ほんとに少しずつ身体を慣らしてゆく。身体が温まってくる。ペダルも最初のぎこちなさからスムーズに回りだす。リズムも掴めてくる。呼吸のリズムと、ペダルのリズムがうまくシンクロすると思いのほか楽になったりもする。

自分の意識はペダルに集中してひたすらペースでまわす。

しばらくすると「やっぱりきた」と安堵感がでてくる。いつものペースだ。身体が順調に動き出している感触が伝わる。気分も高揚し始める。

ゴルフ場を左手に見て真っ直ぐ上る。そこは遥か上にとりあえずの頂上が見えている。もっともそこがゴールではないのでさらにそこから上りは続くわけだが、とりあえずのゴールはその時に見えているその天辺となる。

あの天辺まで走りきるために今すべきことは?

どのペースで登るのが良いのか足との相談となる。初心者なら慌てて天辺を目指してしまうだろうが、私達はそんな度素人ではなくなっている。だから、天辺が見えていようが慌てない、はしゃがない。むしろ襟を正し、その登りにあい対峙して、しっかりと作戦を練る。

「このペースで登りきろう。」と心に決める。ぶれない、動じない。それが極意だ。なんとカッコイイじゃないですか。思わず女を忘れている自分に惚れてしまいます。盤滝までは何度か登っていることもあり、じっくりと攻略すれば問題なしのレベルにはなっている。

問題は盤滝からの登り。

九十九折れのカーブひとつひとつにナンバーが付いている。最初に発見したのが盤滝の入り口、125。

曲がりをひとつクリアするごとに番号は少なくなる。きっと六甲西からの登りの鈴蘭台あたりからの番号に違いないと推測する。

まさに、この番号が私たちの支えになる。

ひとつづつ番号をクリアしてゆく。じっくりと、じっくりと。曲がりと曲がりの間の距離はさほど長くない。すぐ目視できる距離だ。数十メートルというところか。それだけに、少し頑張れば次の数字に到達する。そう、少し頑張るのだ。

今日はあそこの何番の曲がりまで練習、と言う具合に。分かり易い。少しずつ距離を伸ばしてゆくだけなのだから。私たちの気持ちの中では、いつでももうすぐにでも上ってみせる、いやできるという気持ちが強い。それが妄想だと分かっていても気持ちはどんどん先走ってしまう。

口では「大丈夫、上れるわよ。」と言ってしまう。

しかし、現実はそうはいかない。その壁にぶつかるととたんに意気消沈してしまうのは目に見えている。だから、じっくりと着実に登れる方法を考えることが大切なことだ。先週あの番号まで登れたのに今日は無理。というケースもでてくる。

自転車は必ずしもその日上れるかというとそうでもない。非常にコンディションに影響されるのだ。あの時はあんなにも軽々と登れたのに、今日はなんでこんなにペダルが重いのだろうか?不・思・議。

少しでも距離が伸びると気持ちも高揚する。

少しずつ、少しずつ距離を伸ばしてゆくことが身体を鍛えながら成長することとシンクロする。ヒルクライムの場合は最初から最後まで限界で漕ぎ続けることが多い。それだけに、つらい。それだけに、ややもすると続かない。私は皆のモチベーションが途切れてしまわないよう、あと少しのところに目標を設定してやることを心がけた。

距離を伸ばしながら何度か同じコースにチャレンジすると徐々にコースの詳細が分かってくる。たとえば、あの曲がりを過ぎると少し平坦になる。とか、あそこまで頑張ると後はクリアできたのも同然という風に、気持ちにもゆとりが出てくる。

一番最初にトライしたときよりも2度3度とトライしたときのほうが、思いのほか登れてしまうのはよくある事です。長い時間を置いて振り返ると、今私たちがしようと考えていることは、あの自転車を始めた頃の自分を考えたら信じられないほどの進歩。あの頃は坂道を登るなんて考えられなかった。

自転車はコキコキ漕いで走るもの。それ以外はまったくなにも考えられなかった。なにがこうさせたのか、時と共に自分も変わってきていることを今更ながら実感させられる。

今日は盤滝では止まらずに続けてナンバー129まで登る。盤滝からさほど距離はないもののプラスアルファの部分ともなり、盤滝までの状態がそこからのライディングを左右することは明らかである。

余力があるか?ないか?

淡々と上ることでパワーを温存しながらのライディング技術は学んできた。だから、まだ走れる自信がある。ここが大切なところでもあります。ヒルクライムはパワーを必要以上に消費する。だから、走りながらパワーを生み出すこともしているのだ。走りながら食べたりするグランツールのように。

ヒルクライムでは勾配の違いで休んだり頑張ったりする。もちろん、上りオンリーなので普通に考えると常に頑張らなくてはいけないように感じるがそうではない。勾配がゆるくなったところでは、「休む」のです。

この走法ができていないと六甲山攻略は夢のまた夢。

Aが言う。

「私、なんか上れそう。今日はばっちりビンディングだから。」

勝手な妄想が膨らむ。自分は苦しさなんかちっとも怖くない。へいちゃらよ。もう、一度頂上まで登っているんだもん、あのぐらいちっとも苦しくないわ。

頑張れる。・・・・と。

例えば、鈴鹿のレースなんかにエントリーしているとなればそれに向けてモチベーションも自然と上がる。当然のことだろうが、いつになく一生懸命練習したりしているのだから。そうすると、自分はなぜか走れるような気分になってくるから不思議なものである。それが妄想なのだが。

妄想は妄想で終わってしまうことがほとんどだ。

妄想では集団でゴールしているが、実際は集団はすでに視界から消え、諦めモードに突入している。一人ツーリング状態になってしまっている。だけどそんな妄想もモチベーションを高揚させるには大切なことだ。

Bは練習ごとに調子が変わる。

登れたかと思うと、意外にへたれてしまったり、だめかと思いきや意外と登れたり。どっちなんだ!新しいロードバイクに変えて、モチベーションは上がっているはず。彼女自身頑張っているのかもしれない。

まだまだ手探り状態、口には登れると言っていても、実際登れていない。

「大丈夫、休憩入れたほうがいいんじゃないの?」

「平気、まだまだ登れるわ。」

言った先より、どんどん遅れてくる。

再度「大丈夫?」と尋ねると「平気。」と答える。スピードはどんどん緩くなる、皆からは取り残され今や集団は見えなくなる。

「大丈夫?」「平気。」

どんなんや。この子の根性は。彼女の辞書には「だめ。」という言葉はないのだろう。見上げたものだ。

しかし、遅い。

ヒルクライムにカッコはいらない。

なぜか今から上ろうというのに、ハンドルにツーリングバックを付けていたり、やたらいろいろなものを付けている。ヒルクライムは何が何でも軽量化なのだ。ヒルクライムの練習のときはハンドル周りにサイコン以外何もつけないこと。

自転車も自転車ながら、走るスタイルもスタイルだ。

夏場は紫外線が強いので覆面姿で走る子がほとんど。日焼け対策だ。まるで覆面強盗団。このかっこで銀行に行ったものならば即通報間違いなし。

しかしながら、最近の自転車ファッションはすごい。巻きスカートから始まって、ヘルメット、ゴーグル、手袋、ジャージ、シューズに至るまですべて女性仕様なのだ。さらに、バーテープ、サイコン、アイホーンホルダー、ライト、ペダル、等々カラフルでお洒落なパーツがオンパレードである。

まあ、いいだろう。女性は美しさが大切だから。女らしさは大切よね。しかし、それとこれとは違うから覚悟しなさい。そういうこと?。一旦上り始めたら、姿カッコなんて吹っ飛んでしまう。それどころじゃない。

化粧はどんどん剥がされて、ジャージは汗でどろどろに。息は絶え絶えになり。苦しさはマックスまであがる。スタイルより、もがくほどのこの状況に、なんとかくらいつくのがやっとになる。

女は本音は、見たくれよりもプライドなんだよね。「私は登れる。」というプライドがなにより強い。だから決して諦めない。強〜〜〜いっ。

結局、半年間の期間で何回かに分けて少しずつ距離を伸ばしていき、最後は六甲山頂上の一見茶屋まで上り切りました。最後のヒルクライムは一度のチャンスしか無かった為、全員達成できたわけではありませんが、トータル的にはほぼ全員がヒルクライムチャレンジを経験したのではないでしょうか?

まだまだ時間はあります。ここで終わりではありません。チャレンジは続きます。今年、来年、そして再来年と・・・・。

「じっとしているのはもういやっ。」「私にだってできることはある。」「チャレンジせずに諦めるのは納得がいかない。」「せめてできるところまでやってみたい。」「だけど、一人では何もできない。」「誰か引っ張ってほしい。」と思っている方がまだまだ沢山います。

私は、自分の体験した感動を皆に知ってもらいたいと常に思っています。どんなに、感動的で自分に自信が漲るかを。自転車で得た経験が自分の人生の中でどれだけ役にたっていることか。

周りの皆さんが私の経験談を食い入るように聞いてくれます。私のフットワークの軽さを羨ましがってくれます。自分が生き生きしていると周りの皆さんが生き生きしてくれます。そんな笑顔を見たいと思います。生き生きと生きてゆけることが人間のもっとも願っていることではないでしょうか?

ヒルクライムは決して楽なことではないでしょう。身体的理由でもって過激に動くことができない方も沢山いらしゃいます。でも死ぬまで私たちはチャレンジ精神を忘れずに生きてゆきたいと思います。それを自転車を通して体験していただければと思います。

最後に、疲れた身体は、自力整体でほぐしてゆくことでまた明日につながる身体へと戻ってゆきます。

自力整体と自転車は私の永遠のテーマとなりました。今年こそと思っている方もいるでしょう。私がナビゲート致します。

「このはなさくやひめ」チームリーダー植中優子

店長から一言

自転車もやっと市民権を得るようになりました。一昔(10年ほど)前にはジャージ姿を見ると子供もおばちゃんも「あっ、競輪選手だっ!」と手を振っていました。

私も思わずそれに答えて手を振り替えしていたのですが、昨今は誰もが自転車のことを知るようになり、あたりまえのようにロードバイクに乗っています。しかし、あるデータによると、この自転車ブームで新車を購入した8割の方が続かなくて止めていってしまうのだそうです。

寂しい現状です。

ですから、みんなには出会いがあって始められた自転車の世界をとことん楽しんでいただきたいと願っています。私こと店長、そして自力整体ナビゲーターの植中先生と共に強力なサポートをしてゆきたいと思いますので、みんなのご協力をお願いします。

自転車は人間が考えた最高の乗り物です。生涯のスポーツとなりうるものですので、是非一度は自転車に跨って汗を流してみてください。