2014.7サイクルスポーツ掲載ツールドフランス100回大会観戦サイクリングレポート

「日の丸持って、フランスへ」

*2013年7月16日

その日、私たちはフランスへ向かう飛行機の中にいました。ツールドフランス100回大会を観戦するために、5年前より計画を練ってきたオリジナルツーリングの実行に向けてです。10年前の100周年記念大会のときの感動を、是非、現地で体感してみたいという思いが強くなったのがその理由といえましょう。同行したメンバーと「最高のツーリング」ということで意見が一致しそのための準備に入ったのが5年前なのです。

ツーリングエリアは、ツールドフランス第18ステージ(ラルプデュエズ2回の頂上ゴール)が行われる南アルプス、イタリアとの国境が近いドーフィネ・アルプ南域です。フランスはパリよりTGVにてグルノーブルへ移動し、そこからの3日間のツーリングをこなし、モダ−ヌ駅よりパリへ戻るというものです。

*グルノーブルでの洗礼

ツーリングで最も大切なのは「天候」。それは日本でもフランスでも同じことですが、天候次第でツーリングの楽しさはまったくといってよいほど変ります。ただ、これだけはどうしようもないことも事実なので、私たちは、ただただ天を仰ぐのみです。

実は、ツーリング前日の夜、グルノーブルのホテルにて嵐に見舞われたのでした。深夜2時ぐらいだったと思います。ツーリングを目前に熟睡していると、ざわざわと激しく吹きつける雨と風の音に目を覚ましました。目を凝らして窓の外を見てみると、横殴りに降りつける雨。それと同時に轟音とどろかせて響く雷の音。それはそれは、私たちに絶望感を抱かせるには十分なものでした。すべての計画を台無しにしてくれるようなその嵐に、私たちはただただ呆然とするしか、すべがありませんでした。日本から1万キロも離れたこの地にやっとの思いでたどり着いたものの、どうしようもありません。あのときの絶望感はツーリングの宿命を痛感させられた思いでした。

しかし、移動疲れでかまたすぐに眠りにつきました。早朝、目を覚ましてもしばらく外を見ることができませんでした。しかし、覚悟を決めて恐る恐る様子を伺ってみると、まだ暗闇の中ではありましたが、落ち着いた様子で風もほとんどなく、小雨が降っている程度でした。その時は、「これなら出発できる!」と小躍りするほど喜びました。フランスでの早々の洗礼を受け、私たちはこれから始まろうとする旅の無事を願いました。

*観光大国フランス

1日目のツーリングはグルノーブルからラルプデュエズまでの総走行距離約50kmと、ラルプのヒルクライムそしてツール観戦です。アルプスへの入り口となるセシリエンヌ(Sechilienne)という町を通ってラルプへ向かいます。セシリエンヌは、ツーリングで最初に出会った田舎町で、その非の打ち所のない美しさには参りました。レンガ色の屋根と白い壁その素材感まで、すべてにおいて調和がとれている佇まいは見事ですね。石畳もゴミ1つ見当たりません。道路標識もシンプルでモダンなデザインで決して景色を壊してしまうことはありません。イタリアなどもそうなのですが、新しいものと古いもののバランスの取り方が巧いですね。古い町並みにルノーあたりのモダンな車が駐車しているのをみると感動してしまいます。

*ラルプデュエズ(L'Alpe-d'Huez)初ヒルクライム

100回大会の第18ステージは、ガップ(Gap)をスタートし、最後ラルプデュエズの峠を2回登って頂上ゴールというかなり過酷なレースとなりました。100回大会の中でも最終の勝敗を左右する要のステージとなります。それ故に、世界中から集まった観客の数は私たちも含め70万人とも言われました。ツールファンなら「ラルプ」と言えば知らない人はいないかと思います。標高差1100m、距離13kmを走って駆け上がると言うもので、21のカーブがその過酷さをものがったています。そのカーブには歴代ステージ優勝者の名前が刻まれている「パネル」が設置されていて、歴史的峠として名を馳せているわけです。ちなみに、マルコパンターニの登坂記録が37分35秒だそうです。私には、その速さがあまりに凄過ぎてイメージできません。

すべてが初となるフランスツーリング。日本ではJ-スポーツで観ていたに過ぎないあのラルプを実際にヒルクライムできるとあって、興奮は半端ではありませんでした。それに加え、そのラルプの登り口にて「悪魔おじさん」を発見してしまったその瞬間、興奮のあまり頭の中はパニックに陥ってしまいました。迷わず強引にも2ショットで写真を撮ってもらいましたね(笑)「悪魔おじさん」なのに顔はサンタのおじさんみたいに優しい笑顔でした。ほんとににこやかな、いい顔をしていました。

ラルプの登りでは17kgという相当な重量の荷物を担いでいたので、「パネル」のあるカーブで休みながら登ることにしました。「パネル」にはカーブの数を表す数字が表記されていて、21から始まりカーブごとにカウントダウンしてゆきます。ひとつづつ数字をクリアしてゆくと頂上(ゴール)に近づいてゆくということです。そのゴール目指して、後から後からツールを観戦しようとしている人たちが、本当に途絶えることなくぞろぞろと登ってゆきます。プロ顔負けのライダーがいたと思ったら一輪車で登る人もいたり、子連れでキャリアーを引いて登る人たちもいました。さらには、沿道ではすでに出来上がっている人たち?が「アレ!アレ!アレッ!」と私たちを囃し立てるのです。聞くところによると、数日前より場所を陣取り「飲めや、歌えや、踊れや」で盛り上がっているようです。特に、オランダ坂と呼ばれる一帯はお祭り騒ぎで異様な雰囲気でした。私たちに同行した女性ライダーはお尻を押してもらってはキャーキャーはしゃいでいましたね。そして、私たち日本人をみるとしきりに「ありがとう」を連呼している様は滑稽にも見えました。

*感動のツールドフランス

なんといっても、生の?フルームとかコンタドールとかが観れるのですから、興奮しないはずはないでしょう。選手たちが来るのを今か今かと見守りながら待つのも醍醐味です。そんなドキドキしながら待っている時にまず来るのは、プカプカとラッパを鳴らしながら登ってくるキャラバン隊です。大会のスポンサーの宣伝カーが後から後から登ってきては、私たちにプレゼントを撒き散らしてくれます。ほとんどの観客がかぶっている黄色いUCIのキャップもそのひとつです。驚くのは、そのばら撒く量。半端無い大量のグッズを撒き散らしてゆくのです。私たちも両手にてんこ盛りとなるほどのグッズを抱えてうれしいやら、大変やらで再びパニックになってしまいました。

*フランス人にとってのツール

私たちはゴールから4km手前の場所にて観戦することにしました。ちょうど私たちのすぐ隣でフランス人のファミリーが場所取りをしていて、片言のコミュニケーションでご一緒させていただくこととなりました。そのファミリーは、お父さんがどうやらツールの熱狂的なファンで、小さな3歳ぐらいの子供2人を連れての観戦でした。それとおじいちゃんが一緒に観戦していましたね。遠方にヘリの音が聞こえだすといよいよ選手たちの登場です。あのヘリの爆音も興奮するものですね。始め下界の方から徐々に音が近づき時間と共に私たちと同じ標高まで上がってきて目の前でホバリングを始めます。そうなると、選手たちはもう目と鼻の先にいるということを感じ取ることができるのです。最も、地元フランスの実況放送を聞いているわけでもないので、どの選手がトップなのか?集団はどのようになっているか?まったく知る由もありませんでした。帰国してからなんというすばらしいドラマが展開していたのかということを知って再度感動した次第です。

始めの登りではBMCのバンガーデレンが先頭で登ってきました。それに引き続き数十秒遅れで、リベロンが登ってきたときです。とたん、フランスおじさんは顔を真っ赤にして選手に激を飛ばし始めました。リベロンが地元フランス人ということで気合が入っていたことは事実です。それにしても子供達をほったらかしにして、リベロンの数十センチのところにまで顔を寄せては激を飛ばしているのです。まさに、J-スポーツで観るあの光景です。思わずつられて、私たちも誰彼かまわず激を飛ばしていましたね。

ただ、その後でおじいちゃんが息子の興奮ぶりにあきれた様子で、私たちに「あいつはどうしようもないやつだ!こんなレースごときで興奮しおって。」というふうなことを話していました。その光景になんだかほのぼのとしたものを感じました。そんなところは日本もフランスも変わらないなと感じました。2人の子供たちもお揃いの黄色のTシャツとUCIの帽子を被って、お父さんに負けじと声援を送っていましたけれどね。

*そして新城が走る

最初の登りではユーロップカーのトマボックレールの集団の後方にしっかりとくいついている新城を確認することができました。激を飛ばす間もなく通り過ぎてしまった、というのが本当ですが、2周目にはしっかりと新城の表情を確認することができました。今回のラルプではかなり調子も良かったのではないでしょうか、果敢に攻めていると感じました。なんといっても日本人がツールでかつラルプで走りこんでる様はカッコ良いものですね。鳥肌が立ちました。私たちのほかに日本人は数組いましたが、そのほかの国々の人たちに比べたらいないも同然のようなもので、そんな中で少しでも応援の声が届いたらうれしいことしきりです。彼の黙々と登ってゆく時の緊張感ある表情を記憶することができました。通り過ぎるその瞬間に私たちの掲げる日の丸をチラ見し、うなずく様な表情で走り過ぎてゆきましたね。感激です。

*興奮冷めやらぬその夜

レースを堪能した私たちは、すっかりフランスへ馴染んでしまいました。そして、その夜はラルプの麓の町ドアザン(Le-Bourg-d'Oisans)にてキャンプすることにしました。それというのも、ホテルが取れなかったというのが理由なのですが、フランス一大イベントのツールであれば無理もないことです。見渡せばキャンプしていた観客は相当数いたはずです。ドアザンの町には公衆トイレもあって、何不便なくキャンプを楽しむことができました。食事は街中のカフェにてサンドウィッチを購入してビール片手にラルプの夜を楽しみました。なぜかビールでしたね。確かにフランスパンもワインも美味しいのですが、やはりおにぎりが食べたいと、思わず郷愁にひたってしまいました。その晩はアルプスの山々に抱かれて眠ることができました。

*ガリビエ峠(標高2640m)へチャレンジ

アルプスの朝はとても気持ちの良いものでした。山々に挟まれているこの街ドアザンは日の出までは相当時間がかかりそうでした。そんなことよりも、太陽に照らし出された山々の尾根は見事に深く青い空とコントラストをなして際立っていました。吐く息は白く肌寒く感じるほどでしたが、気持ちはすこぶる高揚して今から始まるガリビエ峠チャレンジに身震いするほどでした。ドアザンは急峻な山々に挟まれています。昨日登ったラルプもまるで壁のように私たちの眼前にそびえているのです。そんな中、ペダルを回すとこれまた気持ちの良いことしきり。いままでのツーリングで最高の出発となりました。

*延々と登る

ドアザンからは数キロの平坦で真直ぐな道路を走った後は、延々と登りが続きます。D1091号線をイタリアの方向へ向かって走ります。昨日レースで使われた道路を逆走すると、シャンポン湖という大きな堰き止め湖にたどりつきます。湖畔にて、朝食を食べました。昨日買い溜めしておいたサンドウィッチを思いっきりほおばります。日本で言うと朝連の後の朝食みたいなもので、いくらでも食べれる感じです?ただ、フランスにはコンビニや自動販売機類は一切無いので、補給水だけは注意して飲む必要がありました。

今回のツーリングエリアにはフランス屈指のスキー場が沢山あります。ホテルに宿泊している人たちは夏場はサイクリングを楽んでいます。朝食を外で食べている私たちにも「ボンジュール!」とにこやかに声をかけてくれます。すかさず、私たちも「ボンジュール!」と挨拶を返します。そんなやりとりだけなのに妙にすがすがしい気分になれます。フランスでは笑顔と「ボンジュール」ですね。朝食の後は、雪をいただいたアルプスの山々に囲まれながら、再び黙々とペダルを回します。じっくりと景色を堪能しながら走ることに専念します。

*エスカルゴのおいしい訳?

途中、ラ・グラーブ(La-grave)という小さな町があります。まるで絵に描いたようなきれいな町並み。色取り取りの果物を店頭に並べている小さな果物屋さんで、休むことにしました。迷ってしまうほど数ある果物の中からいくつかを選びました。本当にフランスは果物の種類が豊富ですね。りんごとかももの種類も豊富にあるので私たちには到底区別がつきません。お店の裏手で、雪をかぶったアルプスの山々が見える見晴らしの良いスペースに陣取り、座り込んで果物にかぶりつきました。果物で喉の渇きを潤しふと気がつくと、目の前の草むらには沢山のカタツムリがいました。それもとても美しく、ふっくらとして「美味しそう」なカタツムリだと、まるでマグロの刺身がおいしそうに感じるのと同じでした。なるほど、フランスはカタツムリ=エスカルゴの国、あんなにおいしそうなカタツムリを見たなら、誰でも食べてみたいと思うに違いないと納得している自分がいました(笑)

*天空の地

グラーブを後にして勾配のきつくなった道を登ってゆくとガリビエ峠まで後8.7kmの地点に到達します。ラウタレット峠です。そこではちょうど昼時だったので峠にあるカフェにて昼食をとることにしました。ラウタレット峠まで登ってくると、森林限界を超え視界が一気に広がります。これから登ろうとしている道程が数キロ先まで見渡すことができるのです。大きな九十九折りが延々と続く様は圧巻と言えます。ラウタレット峠からこれから登ろうとするガリビエ方向の道を見上げると、少しずつ雲がかかり始めどんよりと不気味な様相を呈していました。

ガリビエ峠まではいつもの朝連でこなすヒルクライム1本分ぐらいですが、勾配も8%ときつくなるためあくまでもじっくりと登ることに徹しました。荷物が無ければ朝連の時のようにガンガン攻める事ができるでしょうが、そうはいきません。しかし、そのゆっくりペースが景色を堪能するにはもってこいのペースだったと思います。それぞれのカーブが脳裏にくっきりと残っているのもそのせいでしょう。残雪で記念写真を撮っているサイクリストもいました。標高が高くなると、それにつれて下界の風景も変化してゆきます。まるで天空に浮かんでいるかのように下界が箱庭のように感じられます。遥か十数キロ先の町並みをひとつの大きな空間として見渡すことができるロケーションはそうないでしょう。例えるなら、富士山に登ったとき、下界を俯瞰したときの宙に浮いたような感じとでもいいましょうか。雲行きは相当怪しくはなっていたものの、まだかろうじて遠方の視界をさえぎられずに見渡すことができました。

*標高2640m、ガリビエ峠

頂上であるガリビエ峠のカーブに立つと、達成感がドッと湧き上がってきました。それと同時に物凄く寒かったことも記憶に残っています。実際に登りきるとその壮大な景色にはあまりあるものがありました。コンタドールがシュレックがエバンスがこの峠を走り、過酷な戦いを繰り広げていたのです。J-スポーツで観た映像を実際の光景に照らして頭の中で再現するとリアルにその場の空気を感じ取ることができました。しばし、彼らに自分を同化させて、あたかもこのガリビエを攻略するエバンスになりきってしまいました。エバンスのあの正攻法的な攻め方が好きですね。たまに墓穴を掘ったりするところもありますが。彼らは何を考えながらこの峠に登っていたのでしょう?この峠を通り過ぎるときにどんな思いでいたのでしょうか?そんな疑問が次々に沸いてきます。

*アルプスのハイジの世界

しばしガリビエ峠で妄想に浸った後、準備しておいた厚手の手袋をして長い下りに入ります。ヴァロワール側の下りも相当クネクネとしていて、俯瞰するとかなり走りがいのあるコースとなっていました。ただ、雨がぽつぽつと降り始めていたので、若干緊張のダウンヒルとなりました。

しばし大きなすり鉢状の山肌の九十九折りを下っていると下界に怪しい山肌にできたシミのようなものを発見してしまいました。はじめは山肌にできたなにか模様のようなものかと思っていたのですが、高度を下げてゆくにつれ、その実態が明らかになってきたのです。実はそのシミらしきものはじわじわと蠢(うごめ)いていたのです。そうです、羊の群れだったのです。まさしく「ハイジの世界」に私たちは飛び込んだのでした。

「ラーラッ、ラーラッ、ラッララ〜〜ッ。」と思わずハイジのテーマソングを口ずさむ自分がいました。その数、数千頭はいようというもの。小高い丘が3つほどは羊で埋め尽くされていました。そのスケールにしばし開いた口が塞がらなかったですね。たった一人の羊飼いと、数匹の犬がこの膨大な羊たちをコントロールしていたのです。思いがけない感動に感謝です。

*ヴァロワールの夜

ヴァロワールのホテルGrand Hotel de Valloire et du Galiberは、グランドといってもさほど大きさを感じさせない小さなホテルでした。雨が降る中、ガリビエ峠から下って来て小1時間ほど走ったところに、スキーリゾート地のヴァロワールがあります。両サイドを山に挟まれ、山の斜面にはリフトが設置されているのを見ることができました。冬場には一面白一色になるに違いないとイメージを頭の中で膨らませていました。

ガリビエの峠越えを果たしてきた私たちは、疲れきっていました。さらに、雨のため身体も相当冷えていたと思います。ホテルの部屋に入ると、早速、濡れたジャージとかシューズを洗って洗濯を始めます。暖かい部屋に生きた心地がしました。脱力感が一気に吹き出て、峠を走りきった満足感が体を支配します。汗と雨でくしゃくしゃになった身体をリフレッシュするためにシャワーを浴びます。すべてのことから開放される感覚ががたまらなく気持ちのよいものです。緊張から脱力への瞬間です。

シャワーから出て、ベッドの上に思いっきりダイブすると突然お腹が空いてくるのを感じました。私たちライダーにとっては走ることと飲食することは切り離せない、黄金コンビなのです。こんなに気分が高揚しているときには少し奮発して、レストランにて豪華に食事がしたくなりました。

フランスに来てからまだレストランというレストランへは入ったことがないのです。なにやら訳の分からないメニューに惑わされることが嫌なので、躊躇していました。もっとも、さほどフランス料理が食べたいという気持ちにならなかったのが最大の理由ではあったのですが・・・。しかし、折角フランスに来て一度もレストランに入らないというのももったいない話で、勇気を出して、チャレンジしてみるのも悪くないと思いました。

私たちが選択したレストランはというと、とてもこじんまりとしたレストランでした。日本でたとえるなら、どこにでもありそうな庶民的な雰囲気の洋食軒といった感じでしょうか?なにせ言葉が思うように通じないことが足かせとなって、二の足を踏んでしまうのが現実です。思い切って店内に入ると、2組のお客さんがテーブルを挟んで食事を楽しんでいました。フランス人にしては小柄でまるで普段着のような格好のおじさんがどうもオーナーらしく、私たちを奥のテーブルへと招いてくれました。勝手の知らない場所へ入り込んだ私たちは若干どぎまぎしながら、経過を見守るしかありません。店員がお水を運んでくると、すかさずメニューを見せていただくことにしました。しかし、そのメニューを見渡しても一向に手がかりとなる文字には行き当たらないのです(笑)フランス語をもっと勉強してくれば良かったと後悔しました。コースメニューであれば前菜から始まってと思って、それらしきものを探すのですが、一向に見当たらないのです。折角、セットメニューらしき文字を見つけてそれをオーダーしようとしたところ、それには駄目だしが出てしまいました。どうも、それは子供用のメニューだったらしいのです。一気に自信を失い失速します。拉致があかなくなった私たちは、「1人50ユーロでお任せ」にしてもらうことに成功しました。なんとかオーダーすることができた訳ですが、情けないことには、果たしてどのような料理が出てくるのか皆目見当がつきません。ビールとパンの後に前菜にあたるオードブルなのでしょうか、生ハムの盛り合わせが出てきました。その量が半端ではないのです。30cmほどの大皿に5種類ほどの生ハムが並んでいました。確かにビールは進みました。その後、魚のシチューとお肉のシチューがでてきて、十分すぎるほどの量の料理を堪能することができました。

食事が終了して食後の時間を過ごしていると、小柄なオーナーが一冊のノートを持ってきて、なにやらメッセージがほしいと言い出しました。そのノートを拝見すると確かにここへ来たお客さんのメッセージが多数載せられていました。その多くはフランス語ではあったものの、私たち日本人が珍しいこともあって、是非書いてほしかったのかもしれません。私は喜んで「セボン!」と大きくフランス語で書き込み、その後に彼らには読めないだろう日本語で、メッセージを綴りました。最後にオーナーはにこやかな顔で私たちを気持ちよく見送ってくれました。ところがです、驚いたことにお店に居合わせた「全てのお客さん」が、私たちに向かって手を振って挨拶してくれたのです。言葉が通じなくてもなにがしかの気持ちが通じ合うことはありがたいことでもあり嬉しいことでもありました。心温まる瞬間でした。気持ちのよい“おもてなし”ありがとうと心から感謝した次第でした。おかげで、その晩は疲れもあって、ぐっすりと気持ちよく眠ることができました。

*テレグラフ峠でお昼寝

翌日、宿泊地ヴァロワールから小1時間ほどの登りをこなすと、テレグラフ峠(標高1570m)に到着。アルプス最後の日はみごとに快晴で、遠くの山々の稜線が空の濃いブルーをバックにくっきりと観ることができました。昨日はホテルで熟睡したため、身体もパワーを全回復することができました。おかげで、ペダルも軽く、アルプスの空気を胸に思いっきり吸い込んでさらに加速することができました。早朝から走りこんでいるサイクリスト数名に出会い「ボンジュール」と挨拶を交わします。挨拶もすっかり馴染んでしまいました。彼らも同じ空気を吸い、同じ感覚に包まれていることでしょう。この気持ちよさに国境はないと感じました。そういう意味に於いては少しフランス人になりかけているのかも知れません。

テレグラフ峠に到着するとそこにはカフェが一軒あります。どうもそこがサイクリストにとってはエイドステーションになるようです。私たちも自転車を降り、アルプスの空気を改めて楽しみました。オープンカフェにてコーヒーを飲み、雰囲気に浸っていると、昨日私たちと同じようにラルプからガリビエ峠を越えたカップルに遭遇しました。軽く会釈をすると彼らも私たちに気づき会釈を返してくれます。つたない英語で近づき一緒に記念写真を撮ることになりました。彼らはこれからイゾアール峠を目指すみたいでした。ガリビエ峠に続きイゾアール峠と峠越えを楽しんでいるのでしょう。羨ましい限りです。しかし、この時の会話のやりとりがまさしく私たちの今回のツーリングの続編になるとは、そのときは知る由もありませんでした。

最終日の総走行距離は、モダ−ヌ駅までのほとんど下りの約35km。時間がたっぷりとあることを理由に、テレグラフ峠でお昼寝をすることにしました。カフェにてアイスクリームを買って芝生の上に横になってほおばる。なんと優雅で充実した時間でしょうか。いつか夢見たことが今現実となっているのです。周りを見渡すとアルプスの山並みが悠々と広がります。暖かな陽光に包まれ少し眠気を感じながら最後のアルプスの時間を記憶に留めるため意識を集中させます。若干眠りに落ちて、再び意識が戻る。するとそこにはアルプスの山々があり、ここはフランスなんだということを再認識するのです。とたんお腹が空いて、サンドウィッチと魚の缶詰を食べましたね(笑)なんと言っても今回のツーリングでは食欲も旺盛で最高に気持ちの良い時間を過ごすことができました。2時間後、「最高の昼寝」をしたテレグラフ峠を後にすることとしました。

テレグラフ峠から麓の町モリエンヌ(Saint-Michel-de-Maurieenne)までは標高差900mで距離7.4kmほどのところを一気に下りきります。下りの途中尿意を催し、アルプスにマーキングをする。そんなことも雄大な自然が許してくれるような大きな器を感じてしまいます。モリエンヌの町は、小さくこじんまりした町並みが印象的でしたが、アルプスの山々を背景にひときわ魅力的に写りました。アルプス地方の町並みは本当に美しい。思わずスケッチしたくなるような風景がいたるところに発見することができます。文章ですべてを表現することがなかなか難しいのが歯がゆいことでもあります。雑誌などで見る写真と同じ風景なのに、現地に立つと、なにゆえにこれほどの違いがあるのか分からない。いつまでもここに留まりたいという欲求が止め処もなく湧き上がってきました。

*モダーヌ駅にて乾杯

TGVの止まるモダーヌ駅に着くとTGVの時間待ちを利用してオープンカフェにて「最高のツーリング」の成功を祝して乾杯することにしました。なぜかここでもやはりビールでしたね(笑)

そして、幸いにも機材のトラブルが一切なかったという若干拍子抜けするようなフランスツーリングでしたが、パリに戻ってホテルがキャンセルになっていたという大変な落ちがついてしまいました。その件は、難なく解決はしたのですがそんなトラブルも楽しみつつ、その後、ツール最終日のパリゴールも観戦し、その他ベルサイユ宮殿ツーリング、パリ市内ポタリングなどをこなしました。十分過ぎるほどにフランスでの自転車を楽しみました。

「最高のツーリング」は無事達成することができました。ただ、まだまだ走っていないエリアは山のようにある訳ですし、あの感動を再び体験したいという欲求が、今再び芽生え始めています。ガリビエ峠の続きは、すでに始動し始めています。あのときのあの会話がきっかけとなって・・・。次回は「極上のツーリング」を目指して。

著者 佐藤孝博 59歳 自転車暦29年

宝塚市仁川にてサイクルショップを経営。レース参戦、ツーリング、勉強会などのイベントを中心として活動する。趣味はもちろん極上のサイクリングとその他切手収集等。