2013,4 福島空港〜福島市飯野町〜福島市〜吾妻小富士〜JR本宮駅

「ふる里へ帰ろう・福島吾妻小富士サイクリング」

「ふる里」という言葉は、最近の都会に住む子供たちにはすでに死語となってしまっている感があります。私の記憶に残るふる里の風景は、遠く離れた宝塚に於いてもいまだ深く刻み込まれています。それが、原風景つまり「ふる里」と言えるものなのかもしれません。

私のふる里は福島県伊達郡飯野町、現在の福島市飯野町になります。数年前に、伊達郡から福島市に合併されて若干住所が変わりました。

福島県はご存知のように、忌まわしき震災から早4年が経とうとしています。地震によって起こされた津波で、福島原発が甚大な被害を受けてしまい、放射線による見えない恐怖が私のふる里を襲いました。その結果、私のふる里より10kmほど離れた川俣市では避難区域の指定を受けて、避難を余儀なくされた方が多数でました。寸でのところで、私のふる里はその避難区域を免れたのです。

私の実家である家には、今、母が一人で暮らしています。父は、関西を襲った淡路大震災の前の年に他界しています。母は、私の育ったふる里へずっとその地を離れることなく、今まで暮らしてきました。田舎である飯野町は小さく、親戚知人も今となっては少なくなってきているものの、生活をする上での楽しみや相談事やそれらのことを共有できる人達がいて、もはやその地から離れることはできないのでしょう。母は、私のふる里で一生を終えることが、なにより幸せであると感じているはずなのです。

そんなふる里へ、数年ぶりに自転車でサイクリングを楽しむ為に帰郷したのです。4月の後半23日より25日までの3日間、ふる里は今、桜の満開日となっているはずです。目的は、大きく二つ。一つは三春の滝桜、もうひとつは吾妻小富士、浄土平へのヒルクライムです。

飛行機にて伊丹空港より福島空港まで輪行します。平日でさらに連休前なので、仕事で移動する人が多いように感じられました。飛行機の中は満席だったのです。

飛行機は午前8時5分に離陸すると、あっという間に福島へ到着してしまいます。人間が考え出した飛行機という道具が、人間の生活スタイルまでも変貌させてしまったようです。それにあわせるように人々はせかせかと働かされるようになってしまいました。飛行機の中でもパソコンを前に黙々とキーを打ち続けているサラリーマンを見受けました。良いことか悪いことか、人間が働く機械化してしまうような、そんな風に感じてしまうのは私だけでしょうか?

ただ、一気に着いてしまうのはなんと言っても便利だね〜〜っ。


福島空港で自転車の組み立てを済ませ、10時には出発することができました。少し風が強いようにも感じましたが、日差しは上々で春の香りがそこらじゅうに感じられました。久々に乗る650ツーリング仕様カスタムバイクのため、始めは若干フラフラ感が感じられましたが、それも時間と共に慣れてきて、徐々に安定感を増してゆきます。

天気予報では、3日間とも快晴。特に中日(なかび)は超快晴という予報でした。なぜか雨の心配がないだけでも、ワクワク感は染み出してきます。ただ、高地に向かうので寒さ対策はしっかりとしておく必要がありますね。いざ下りになって、死ぬほど手が冷たいということもしばしば経験しているので、備え万全ならば快適に下れるということにもなります。

いつものことながら、走り始めてからしばらくは自転車と相談しながらそろそろと走ります。何が悪いのか何が良いのか確かめながらの走行となるのです。ただ、自転車を変えることはできないので、あくまでも身体側をどのように自転車に慣れさすか、ということに尽きます。

走り始めは、少し膝が痛かったり、腰に違和感を持ったりするものです。肩にもずっしりと重量級の荷物を抱えているので違和感があるのは当然です。それらの違和感がどのように変化するのか予測することも大切なこととなるのです。些細な違和感が取り返しのつかない状況へと追い込まれることもあるので、気になるところでもあります。

時間が経つと慣れるものと、そうでないものがあります。そうでないものついては早めに対処しておく必要があるのは当然です。初めは我慢できる程度のものでも時間が経つと致命的になってしまうものが結構多いのです。お尻の痛さなどは早め早めに対処するべきだと考えます。それと、背中に当たる違和感などもザックの中身を入れ替えるなどしてすっきりさせておくことが賢明です。

機材の選び方は人それぞれだと思いますが、共通して言えることはどれだけ楽に走れるかということです。楽に走れる機材が自分にとって一番ということになるのですが、果たして何が楽か?と言えるのかは、個人個人の違いがあって疑問の残るところでもあります。

初心者の皆さんが求めるのは、たぶんコンビニ感覚のイージー(簡便)さなのだと思ってしまいます。手の届く範囲で何でも揃っているとそれだけで安心することができるものです。だからそれらに頼ってしまうのが初心者だとも言えそうです。

携帯電話、GPS機能の付いたサイクルコンピューター、高輝度ライト、ベル、小物入れ等などを主にハンドルへ取り付けます。走りに集中できない時は、以外にも暇であったりもするのです。走っていて暇になるはずはないのですが、中には居眠りしてしまうライダーもいたりして、そんな時に目の前の小物たちは活躍するのでしょう。

最近では普段でも携帯をしながら食事をしたり、音楽を聴きながら仕事をしたりする光景を見かけます。そんな状況に近いものがあるようにも思えてなりません。

サイクリング時の意識は、外にあるべきものであるはずなのにどうしてか手前にある小道具達に意識が集中してしまっていることがあります。その状況は非常に危険ではあるという事を理解しているものの、初心者の方々にはその怖さが分かっていないと思われます。

私の考えは、自転車は至ってシンプルであることを目指すべきです。バネ下重量ともなる自転車にはできる限り走りをスポイルさせないためにも、身軽にしておきたいものなのです。自転車を買うときにあれほど真剣に軽量のものを探していたはずなのに、余計なものを沢山付けてしまったのでは、本末転倒もはなはだしいと言わざるを得ません。

ただ必要な物は必要な訳なので、その必要性を見極める必要があります。実はその必要性の見極めが最も難しいところではあるのですが・・。そのようにしてサイクリングを洗練させてゆくことで、そこに涙の出るような感動が生まれることが可能となるのです。

しかし、それらはとてつもない努力の上にあるものであって、その苦労と苦難に耐えたものだけに与えられるものであると考えられます。ロングのソロツーリングを一本こなすといつもそんなことを考えさせられます。苦しくて、苦しくてどうしようもないはずなのにしばらく時間が経つと無性にまた走りたくなる。そこに本質があると感じています。

今回も、そんな辛さを乗り越えられるような感動は一体あるのだろうか?それとも期待は裏切られ、つまらないサイクリングとなってしまうのだろうか?それは誰にもわからないことなのかも知れません。そんなことを考えながらペダルを回しているうちに、距離はどんどん伸びてゆきます。まずは、身体を慣らしてゆくことと、周りの景色を楽しみながら発見があるかどうか探ることに専念します。

久しぶりの福島の景色はとても懐かしく、癒されました。緩やかなアップダウンはあるものの足にはさほど負担をかけずに走ることができるのです。まずは、三春の滝桜を目指して道に迷わないように方向をイメージしつつ走りましょう。

三春の滝桜までの行程は27kmほど。時々現在地をアイパッドで確認しながら走ります。アイパッドのおかげで効率よく間違うことなく目的地へたどり着くことができるようになりました。しかし、これもアイパッドが使えるときという前提ではあるのです。つまり、電池がなくなったりとか、電波が届かなくなってしまうと使えないわけで、そのときには地図に頼る他すべがなくなるということも知っておかなければいけません。問題はそのときで、地図が読めないと自分の位置さえも特定することができず、途方にくれることとなるのです。

東北地方は一斉に花の咲く時期です。桜、梅に始まって、花桃、芝桜、水仙、菜の花、モクレンなどなど様々な花が私たちの目を楽しませてくれます。最初に出会ったのは、花桃でした。道路沿いに植えられた色とりどりの花桃の美しさと香りはまるで私たちを歓迎するオープニングセレモニーのようでした。

花に癒されて身体が少しづつ温まってくると、自然とペースも上がってきます。

滝桜までは、緩やかなアップダウンを繰り返すような田舎道が続きます。田畑が両サイドに広がりいたるところに満開の桜を見ることができます。そのスケール感は私たちが住む阪神エリアとはまた違った開放感が溢れているように感じました。

少し遠景の桜の花を眺めながらペダルを回します。200mほどの緩やかな上りを軽やかなダンシングでこなすとしばらくは下りが続く、その繰り返しで距離を稼いでゆきます。突然現れる花桃の群生や芝桜の群生に出会うと、それはそれでしばらくペダルを止めて見とれてしまうモードに入ってしまいます。

大滝根川の堰止湖のあたりにある「三春の滝桜」の場所は、複雑な形をしている堰止湖のおかげでその周辺の道もとても複雑に入り組んでいました。滝桜に近くなると当然のように道標が立っていて、それにつられる様に走ったはずなのですが、いつの間にか私たちの走っていた道は微妙にずれていたらしく、気づいたときには数キロ通り越してしまっていました。

さらに気がつくと、観光バスが私たちが向かう方向とは違う方向へとどんどん走ってゆくではないですか?「なるほど。あちらが目的地の滝桜方面なのだ。」ということにそこで気づくことができるのでした。

目的地に到着すると、そこは広大な駐車場が、それも一箇所だけではなく数箇所に分散されています。バスや乗用車もこの平日にもかかわらずひっきりなしに入ってくる有様です。改めて、「三春の滝桜」のメジャーさを感じ取りました。日本の3大桜のひとつと言われている「三春の滝桜」いったいどのような感動を私たちに与えてくれるのでしょうか?

駐車場の警備員に誘導され、駐車場の一角に駐輪することにしました。気がつけば自転車で来ているのは私たちだけみたいです(笑)ここは入場料が必要です。300円成。

なるほど、三春の滝桜はそのあたりに咲いている桜と違ってなにか特別威厳があるのかもしれません。見るにもなにか覚悟が必要なのかも知れません。そんな気にさせられるような、まるで遊園地のアトラクションを体験するときのような緊張感がありました。

門を入場するとまずは出店(でみせ)がずらっと並んでいます。広い休憩広場があってそこで寛いでいる見学者が沢山いました。多くは、ツアーで来られたおじいちゃんやおばあちゃん。それに付き添っているお母さんお父さんその子供たちがテーブルを囲んでは、地元の名産品に舌鼓しています。私たちは、その場へ着いたのが丁度お昼過ぎだったので、「花より団子」状態に陥っていました。まずはアマゴの塩焼きをほおばりました。おいしい香りとほくほくした白身は最高に美味ですね。さらに2色だんご、地元名物のゆべしなどを食べつくしてお腹を満足させました。

ひとしきり食い気に走った私たちでしたが、気持ちを入れ替えて日本一の桜の鑑賞会へと向かいましょう。少しだけ登り道を歩くとその眼前に滝桜が見えてきます。小山の斜面に悠々と枝を広げて咲く枝垂桜(しだれざくら)となります。遠目で見ると、さほど大きさ感はありませんでしたが、見事に咲いた満開の桜は美しいものがあります。

桜の近くまで歩道が設置されていて、見学のお客さんがぞろぞろと歩いてゆきます。歩道には柵が設けられ歩道から外れることはできません。「ああそうか。この滝桜は観光地なんだな。」とその時感じました。実は、私たちがイメージした光景と少し食い違いが起きてしまったみたいでした。感動すると言うよりは、確認すると言ったほうが良いのかもしれません。ホームページに載っていた写真と同じなんだと。普通お花見と言うと、自由なスペースがあってそこでお弁当を広げて・・・・、というイメージがあると思います。しかし、ここではあくまでも滝桜の見学場所だったのです。

ただ、その桜は1000年以上の古木でそれはみごとな枝振りでした。幹は太く、この桜が平安時代のころよりこの地で、偶然か必然か生き残ることのできた唯一の桜なのです。そのような歴史を感じさせることができる唯一の桜なのかもしれません。周囲にも桜の群生が咲き誇っているのですが、むしろそちらの桜のほうが若々しく感じるのは私だけではなさそうでした。

なるほど、この桜はまさにこの地に生まれ育った人々の心なのです。小さいころよりこの桜を見て育った人々にとっては、紛れもなくこの桜は原点であり心の拠りどころではないのでしょうか?神社、仏閣と共通する心がこの桜にはあるように思えるのです。その桜が今では多くの観光客に囲まれて、親しまれていることは嬉しいことでもあります。

ただ、よく見ると桜から10mほど離れた下手のところにお立ち台が設けられていました。そこでは、観光客の記念写真を撮る場所になっているのです。富士山観光で記念写真を撮るアレと同じですね。だめだとは言えないですが、なにか興ざめしてしまうような光景になってしまっていることに気がつかないのでしょうか?残念でしかたがありません。

「三春の滝桜」見学も終了して、次の目的地へ走ることとしましょう。

初日はここより35kmほど北上した私の実家に泊まります。三春の町より40号線をひたすら走ることになります。田舎の風景を堪能するためにのんびりとゆっくりとまったりと走ります。三春の町並みを後にすると、すぐに40号線に入り、山間の緩やかなアップダウンがしばらく続きます。9kmほど走ると阿武隈川の支流となる小川に合流し、しばらくは小川沿いに緩やかな下りに入ります。

サイクリングで、ペダルが気持ちよく軽くなる場面が必ずあります。川沿いの下りだったり、追い風の場合もそうですね。それと気分が少しずつハイになってピーク時にはペースが上がったりもします。その時は下り上り関係なく気持ちよく走れますが、一日中で最も楽しいライドとなる時間帯です。

その時々によって、その波がいつやってくるのかは分からないのでそれはじっと待つしかありませんが、その感覚を覚えるとサイクリングは実に楽しいものになるのです。まるで、宙に浮かんだようにペダルがクルクルと回りだすのでたまりませんね。小川沿いの道路はそんなハイになれる時間でした。

福島の場合は、農家でも昔から裕福なところは少なく民家も質素でシンプルな建屋が多いのです。それに山間部では今でも昔とほとんど風景が変わっていないところが多く、懐かしさが感じられます。ただ、農道などはほとんどが整備されていて、きれいな道路が延々と続き、信号もなく車も少ない道路は自転車にとっては理想的です。

ロードバイクはこの東北地方でどれだけ流行っているかと聞くと、私たちの感覚とはかけ離れたものがあるような気がしました。実際、その日に地元のサイクリストに出会ったのは一人だけでした。

実家に近づくにつれて周りの風景が、記憶に残っている原風景とだぶってきます。実家の近くには阿武隈川が流れています。ふる里には飯野ダムがあり、そこも昔より桜の名所でした。そのダムには幼少の頃の思い出が沢山詰まっていてその場に立つとそれらの思い出が止め処も無く溢れ出してくるのでした。母とイナゴを取りに行った時の思い出や、小学校の頃堰堤で「イモ煮会」をした思い出などが浮かんできます。不思議なことに遥か遠い過去の思い出なのに、気持ちはその時と今とでさほど変わっていないということです。その時の母への思いとか、楽しかった感覚はいつまでも不変で、そのまま心の中に刻まれているのでしょうか。

実家から10分ぐらいのところに父のお墓があります。実家へ着く前に、父に線香をあげましょう。周りにはほとんど家もないような田園風景の広がるところですが、数年前より周囲の小さな山々を含めたこの一帯に、花桃の苗を植樹するようになりました。それが年とともに増えていき、いまでは遠くから見学者が来るようになるほどの景観をなすようになったのです。

花桃は、色の種類が多く、白から始まって濃いピンクまでの彩(いろどり)がすばらしくとても美しく感じます。山々を彩る花桃は目を見張るものがあります。そんな中に、私の父のお墓があるのです。父も、そんな花々に囲まれて気持ちよく眠っていることでしょう。

久々に会う母はとても元気でした。のどかな環境に包まれて非常に健康的に生活しているのではないでしょうか。天気の良い日には、お花を見ながら散歩して楽しんでいるみたいです。この時期は、本当に桜がきれいで町の知り合いとか親戚の人たちと一緒にお花見を楽しんでいます。

私のふる里。

ふる里は、心の原点です。ここへ戻ると昔のことがつい先ほどのことのように思い返すことができます。

あの頃何を思って勉強していたのか?何を期待して生きていたのか?当時の気持ちが止め処もなく湧き上がってきます。そして、今の自分がどうなのかをしみじみ確かめたりします。昔と今の気持ちのギャップを埋めるように、この地に立って考えるのです。

しばし、おふくろと会話を交わします。しかし、長話をした覚えはありません。今でこそ、近況の報告をしたりしますが、それが終わると会話は途絶えます。沈黙もありのままに過ごせるのが家族なのだということを実感させられるのです。母と私の関係は昔のまま変わらず、今でも子供であることを望んでいるのでしょう。私が帰っても家のことはてきぱきとこなし私にご馳走を振舞ってくれます。

母は、85歳になります。身体こそ思うままに動かなくなった部分はありますが、それでも十分すぎるほどの身体能力は維持し続けています。田舎でこその生活スタイルが秘訣だとも言えそうです。

現代の便利なライフスタイルは、人間にとっては温室育ちのような甘えた環境になってしまっているように思えます。少しでも負荷のかかることはすべて排除してすべての行動が容易くできてしまうのが今の世の中です。身体がそのために、知らず知らずのうちになまってしまうのは当然のことでしょう。そして、そのなまった身体に気がついた人たちはこぞってスポーツジムなどに通い始めるのです。なにか、不自然な感じはしますよね。まるで、モルモットのようになってしまったかのような・・・。

人間が生きると言うことは、自然と対峙して生きると言うことなのではないでしょうか?つまり、自然の中で生きることを放棄した段階で人間を放棄したことになるのです。

私の母は、自然と幸せに生きている最後の人間なのかもしれません。

その日は実家で熟睡することができました。早朝、別れ際に私にお小遣いを渡してくれました。58歳になろうとしている私に気遣ってお小遣いを渡す母、そんな関係が親子なのだと思います。そのお小遣いの意味は「また帰っておいでね。」という母の無言の願いだとも思えます。

実家の周辺も非難は免れたものの、放射能に犯され今でもニュースでは放射能レベルを天気予報のように伝えています。それが悲しいことに日常になってしまったのです。放射能に犯された山々や田畑での農作物は未だ食べることはできません。おふくろが好きだった山菜がこの3年間食べることができなくなっているのです。会話の中で、ぽろっとそんな話を聞くと思わず孝行気持ちが湧き上がって、帰ったらおふくろへたけのこを贈ってあげようと思いました。新鮮で柔らかい京都のたけのこを・・・。

飯野町は、少しずつではありますが人口は少なくなっているようです。車で福島の市内まで20分ほどで行けてしまうはずなのに、次第に市内近くへ移る人が増えていったと聞いています。過疎化と言うとなにかさびしいものがあるのですが、私にとってはふる里は活性化してどんどん変わってゆくより、昔のままでいてほしいと願うばかりです。

二日目は、予報通り超快晴でした。雲ひとつないうららかな春を満喫すべくゆっくりとペダルを回します。飯野町より一山二山超えると福島市街になります。途中、千貫森というまるで昔話へ出てくるようなぽっこり山があります。その山の麓には「UFOの里」があります。いつの間にか取って付けたようにプチ名所となっていました。果たしてUFOは現れるのか否か?町おこしも苦労が絶えません。

そんな風景を見ながら走ります。小高い山々を見渡しながらアップダウンを繰り返していると視界が開け福島盆地が眼下に見えてくると、眼前には今日登ろうとする吾妻小富士の大パノラマが見えてきます。昔より見慣れた風景なのですが、その大パノラマが見えるといつも息が一瞬止まるような感動を覚えるものです。小さい頃より生まれ育った自然を前に、感動してしまうのはやはり自然が好きな証拠なのだろうと改めて自分の本性を垣間見る瞬間です。

市街へ入る少し手前に「花見山」という、お花見どころがあるようです。私の記憶には無かったスポットなので、これは行っておかなければと思い今日のメインディッシュに決めました。

「花見山」

どうやら個人で所有していた山に桜を始め、花桃、もみじ、菜の花、チューリップ、などを植えた植物園みたいです。無料で見学することができるのがなんとも足を軽くしてくれます。なるほど、観光バスがひっきりなしに来て、多くの観光客で賑わっていました。遊歩道を歩いて小一時間で歩きつくせるぐらいの広さですが、どこを見ても見飽きることはありません。少し、見る角度を変えるだけでも新しい発見があるのです。

花の名前で「もみじ」がありますが、なぜもみじが入っているのかご存知ですか?

山の中腹辺りの一帯がもみじ色に染まっていました。淡い赤というか、水彩画で出したオレンジに近い赤色なのです。一見紅葉かと思ってしまうのですが、この時期に紅葉はないなと気がつきますよね。それではと言うと、実はもみじはこの新芽の時期は赤くなって出てくるのだそうです。それが大人になると赤みが徐々に取れて緑に変化してゆきます。さらに、秋になるとまた紅葉して赤オレンジ色に染まるというのです。

このもみじが私たちにとっては新鮮で感動ものでした。チューリップも鮮やかでまぶしいくらい美しく咲いていました。最もお花の咲くこの時期に、頭が満腹になるほど観賞できたことは極上のサイクリングだと言わざるをえません。参った!

サイクリングの途中道端で、おふくろが作ってくれたチマキ(東北ではもち米を炊いて笹の葉で三角の形に巻く)をきな粉を付けてほおばりました。懐かしい味がしました。そんな時にこそ、ふる里っていいもんだなと素直に思うことができるのです。

しばらくご無沙汰になると、ふる里も少しずつ変化するみたいです。昔無かったと思う餃子が名物になっていたのです。

「円盤餃子?」

私が18歳になるまでこの地で生まれ育った訳ですが、一度たりとも福島が餃子で有名という話は聞いたことがなかったのです。クエスチョンのまま、どうしようかと迷いましたが、だからこれといって食べたいと思うものも見当たらなかったので、そのガイドブックに出ている餃子屋を探すこととしました。市内もさほど昔と変わらない佇まいをしていました。地図を頼りにその場所を探すことしばし・・・。しかし、その一軒目の餃子屋は残念ながらお休みでした。

「さてどうしたものか?」

と考えていると、昼食を食べに出てきたサラリーマンの方々が続々と路地へ入ってゆくではありませんか?一人のオフィスレディーに訳を聞いてみるとおいしい中華屋があるようで、そこを目当てにしているみたいでした。そこで私達も、その「らーめん石狩」に便乗することにしました。

お店は狭く窓際に3つほど小さなテーブルがあり、後はカウンターに5人程座れるスペースがあるだけのほんとに小さな中華屋さんでした。昼時とあってお店はお客でいっぱいだったのですが、たまたま一番奥のテーブルに新生のサラリーマンと見られる若い男の人が座っているテーブルに相席させていただくことができました。早速、名物と歌われている円盤餃子やらをオーダーしてみました。それと、一緒に石狩ラーメンもオーダーします。円盤餃子とはただ単に円盤状に餃子を並べただけで、餃子そのものは普通といえば普通だったものの、小ぶりで、ジューシーな中身は食が進みました。石狩ラーメンも、ちじれの太麺で、関西では滅多にお目にかかることのできないもので、懐かしくいただくことができました。

最新の福島市街を十分に楽しんだ後は、今日の目的地である高湯温泉のホテルへ向かって自転車を走らせることにします。福島駅を右手に見ながら市街地へ向かって西方向へ向かうとすぐに眼前に吾妻小富士が見えてきます。しばらくは、広い県道を走りますが、そのうちに道は徐々に狭くなり走りづらくなってきます。それと引き換えに、眼前に今日登ろうとしている吾妻小富士への山並みがどんどん近づいてくるのです。見上げると、手の届くほどに吾妻小富士が見えているではないですか。これから始まるヒルクライムを前に、身の引き締まる思いがしてきます。

何年ぶりかで上る吾妻小富士ではあるのですが、昔の感動を求めて、再度今登れるのは嬉しいことであり、モチベーションが一気に上がります。

上れば上るほどに、感動は倍々と膨らんでゆきます。この感動を皆さんへ伝えたいと常々思っていても、なかなかこの感動を伝えることは難しいものがあるのです。このサイクリングでしっかりとその感動を脳裏に納め、できる限り正確に伝えることに努めようとした次第です。

ツーリング2日目の後半は、吾妻小富士スカイラインの入り口にあたる、高湯温泉花月ハイランドホテルまでの登り7.3kmをこなすルートです。10%はゆうにありそうな勾配をきっちりと上ることが肝要となります。

上り口で出会ったMTBのおじさんは一言声を交わして、彼は私たちを抜き去って悠々と上って行きました。

登り全工程(21.3km)の3分の一を今日のうちにこなしてしまえば、明日残りの最も感動できるシーンを余裕を持って楽しむことができるのです。そのための布石と考えれば力が沸いてきます。

福島は震災から3年たった今でも、放射能に汚染された土地として依然として毛嫌いされる傾向があります。この汚名はいつになったら拭い去られることができるのかいまだ見当もつきません。もしかしたら、何世代に渡っても、この汚名は拭い去ることができないのかもしれません。

しかし、そんなこととは裏腹に今福島は着実に戻りつつあるのです。いや、すでに震災前の福島には戻っていると思われます。福島の市内は昔と同じように活気に溢れていました。むしろ、昔以上に栄えているとも感じることもできそうな気がします。駅前には数え切れないほどのオフィスビルや飲食街が連なり、昼時にもなればそこかしこに人々は溢れ出します。昔、私が小学生の頃よりも遥かに賑やかになっている福島がそこにはありました。

昔とは生活パターンも変化して、町中心型から郊外に大規模店舗ができ若者はそのようなアミューズメント志向のお店に足を運ぶようになりました。それは、私たちが住む宝塚や西宮と同じように大型店舗が日本の文化を形作るように、生活の主流を占めるようになったのです。生活風景が画一化されて、田舎も都会も同じような風景に統一されるようになってしまったのです。

それは、悲しいことでもあり悔しいことでもあります。良きふる里のイメージが徐々に薄れてゆくように感じるのはきっと私だけではないでしょう?

そのような様々な思いが込み上げてくるのも、こうして現場を走っているからこそではの感情でもあるのです。必ず、今の現状と昔とで比較してしまうことがしばしばあるのは、いた仕方がないことでしょう。やはり、もしかして、「ふる里は遠きにありて思うもの。」というのは真実なのでしょうか?ふる里に対しての郷愁は、今でも決して変ることはないのです。

黙々と走りながら様々なことを考えてしまいます。ヒルクライムには一旦無の境地に陥いることで、そこからの様々な考えを純粋な視点から廻らすことが可能となるのです。時として、思いがけない発想に自分ながらびっくりすることがあったりします。

スティーブジョブスの言葉に「パソコンは人類が発明した最高の道具だと思っている。思考を助ける自転車みたいなものだね。」というのがあります。まさに同感です。


黙々と上っていると、高湯温泉の旅館の従業員方々に「頑張ってください〜〜っ。」と声をかけていただきました。さらにモチベーションが上がります。

サイクリングの思い出は、走ることだけに留まりません、旅先での宿泊にも沢山の思い出が詰まっているのです。二泊目の宿は高湯温泉の花月ハイランドホテル。

7.3kmのヒルクライムをこなして、少し西日が強くなり始めた頃に、たどり着くことができました。思いのほか、立派なフロントに躊躇してしまいます。始めにフロントの方へ自転車の保管をお願いすると、彼は「高価なものでしょうから、中に入れてください。」と広いロビーの一角に自転車を置かせてもらうことになりました。

どうやら、福島でも自転車はそれなりに認知されているようですが、さほどサイクリストは多くないのでしょうか、自転車に対する扱いは特別なものでした。いつもの安宿と勝手が違うので、かえって恐縮してしまう感じです。早速部屋に通されるとそれは広く、ベランダからは福島の市外が一望できる最高のロケーションでした。暗くなりかけた空では、相当の数のイワツバメが虫を捕まえるのに忙しく飛び回っていました。これはこれでリッチな気分にさせられ、極楽な感覚を十分に味わうことができました。

しばらく、眼下遠方に夕日に染まった福島の市街を望み、空にはイワツバメがスマートに飛び交う動きにぼんやりと旅の疲れを癒されるのでした。

そして、宿の極めつけはなんと言っても露天風呂と夕ご飯です。

広々とした露天風呂は、ほのかなたまごの匂いのする源泉かけ流しの湯。泉質は酸性で、高血圧、動脈硬化やあせもなどにも効果があるそうです。ただ、なんと言ってもヒルクライム後の温泉は何事にも代えられないほどの癒し効果があることは確実です。脱力することで、一気に甦る自分を感じられるのはすばらしいことです。

頑張った自分にご褒美をあげましょう。ぐっと身体を伸ばすと身体の隅々までに意識がいきわたり、リフレッシュすることができます。いつまでも、浸かっていたい気分になってしまうのもヒルクライム後の温泉なのです。

いつもと違って今回は少し奮発して、豪華に夕食付にしてみました(笑) 折角、格別のロケーションを訪れても食べるところが無かったりすると、少しがっかりしたりするものです。コンビニで弁当を買ったりして、それでも良いのですがやはり思いっきり旨いものにありつきたいのは当然の成り行きでしょう。

宿の夕食なら、間違いなく地元の取れたての食材だったり、新鮮な魚介類が食べれたりするのです。極上のサイクリングには極上の夕ご飯が待っているという訳です。これはまったく間違いの無い定説となっています。

私がもう少し若かったら、何杯でもお代わりしてたらふく平らげるのだろうが、今は少しセーブして大盛り三杯ぐらいにしましょう。それでも十分食いすぎだろうと言われそうですが、それほどに食欲は全開となってしまうのもサイクリング効果です。予想通り夕食は地元の旬な食材に、新鮮な魚介を取り入れた会席膳。つまひとつ残さずに完食となりました。

睡眠だけは充分にとることが、サイクリングを楽しむことの鉄則となります。夜を楽しみたい気持ちは分かるのですが、翌日のサイクリングに疲れを残してしまうようではサイクリング通とは言えないのです。翌日も6時発となるので、早々に床へ付くことにしました。


吾妻小富士ハイウェイは毎年4月20日頃に開通となります。まだ雪が道路沿いに数メートルの高さで残っているところがあるらしいのです。それも楽しみの一つです。ところが開通はしているものの、夜の10時から朝方の8時半までは、ゲートが締まって通行できないらしいのです。

ただその時は、私たちが6時過ぎにゲートへたどり着くと同時に浄土平のレストハウスへ向かう職員の方がゲートを通過しようとしていたのです。ラッキーとばかりそれに便乗して私達もゲートを通ることができたのです。もっとも規制の厳しくなった今では考えられないことでしょうが。

車の走っていないスカイラインを自転車で走るのは始めてのことで、非常に気持ちの良いものでした。上りは延々と続いたもののなんのその、快調にペースをキープすることができたのです。

浄土平まで13kmのヒルクライム、途中「不動沢」という峡谷を渡ります。不動沢あたりより、風景が徐々に変化してゆくのです。火山灰による草木が育たないエリアとなり、視界が開けそれこそ目指す先の先までが一望に見渡せる世界が待っています。日本に於いては自転車で走れる山岳エリアはそう多くはないと思います。私の走った経験では乗鞍です。ほとんどの山道は、森林の中を走ることになるので、視界は決して良いとは言えないのです。

目指すは吾妻小富士のすそにある浄土平レストハウス。

浄土平レストハウスは小さい頃より、家族揃って車にて見学に来た場所で、最近でもふる里に帰るとこの吾妻小富士に登っては一人感慨に耽っているのです。以前は、MTBで火口付近よりダウンヒルを楽しんだこともあります。

自慢の風景は、まるで火星に降り立ったかのような絶景です。これを絶景と言わずしてなにを絶景と言うのか、これほどの風景を他で観ることはできないといつも思ってしまうのです。思わず息が詰まりそうになるほど、その光景はすばらしいのです。残雪が土色と混ざり合い、今までに見たことも無いような世界を創り出しています。広大な風景の中を走る道路は延々と続きそれは浄土平へと伸びてゆくのでした。

視界が開け、大パノラマを一望できるところまで上ってくると、まったく次元の違う世界を走っているような気分になってきます。疲れているにもかかわらず気分は高揚し、オーバーペースになることを危惧してしばし休憩をとります。眼前に広がる風景を前にして、しばらく深呼吸。空は真っ青で、空の青と火山の土色が見事にコントラストをなしています。澄み切った空気は冷たく、それは自然のミネラルを含んだとてもおいしい空気なのです。

「人は、自然と相対する時に何を感じているのだろうか?」

「自然の崇高さなのだろうか?」

「それとも、自然に対する畏れだろうか?」

ちっぽけな自分ではどうすることもできないような諦め感が、自分を支配します。覆いかぶさるような自然の中で畏れおののき、見たことも無い様なその表情に、止め処も無い不安を覚えるのでしょうか?

そんな光景を目の当たりにすると、日常が一撃で吹き飛ばされたような衝撃を覚えるのです。心臓がバクバクして、とても不安になります。ただ、気持ちはその不安を跳ね除けて突き進もうと喚起させるまた別の自分がいたりするのです。畏れる自分と戦う自分です。自分を鼓舞して、俄然突き進もうとする自分が勝るとき、自然はそれに対して「かかって来い!」と挑発してくるのです。

360度まぎれも無いこの雄大な自然の中に立つ自分の姿が存在すること自体が、確かに今生きているということの証明となるのです。いつも自然は自分と同等に向き合ってくれます。そして、自分のすべてをさらけ出すことで裸になった自分を確認し、その存在感を再認識させられ、そしてまた日常の自分へと戻ってゆくことができるのです。

それが「自然」なんだと、いつも感じざるを得ません。私にとっての吾妻小富士は、まさに裸になった自分を正面から見せ付けられる場所なのです。

眼前に一切経が見えてきます。

丸坊主の山々の中腹あたりの一切経から、一本の水蒸気の湯気が立ち上がっています。その勢いは昔学生の頃に見た一切経よりも、激しく荒々しいものでした。イオウの匂いが私たちを襲います。火山帯の恐ろしいほどの無機質な光景に、私たちは感動と言ったら良いのか畏怖といったら良いのか分からない感覚に陥いります。ただただ、身震いが止まらないほどに心臓がしめつけられるのです。ただ、この恐ろしさが牙をむくには何千年、何万年と時間のかかることで、やがて数十年で消え行く自分たちにはとてもその恐怖を味わうことはできないであろうと考えると、少し心が軽くなるのでした。

ペダルを回しながら少しずつ高度を上げてゆくと、一面裸山の荒涼地帯を進んでゆきます。そんな自然の中にありながら、しかしきっちりと人間の手で作られた舗装路はそれらの自然の驚異をも退けてしまうように、クネクネとかつ悠々とつながって頂上の吾妻小富士へと私たちを導いてくれるのです。

愚かにも自分達だけは大丈夫だと言わんばかりに・・・。


十分に浄土平までの異空間を堪能すると、そこにはレストハウスが出現します。そこには多くの観光客が集まりつつありました。後から後から、バスが上ってきては、吾妻小富士の山頂へ登らんとする観光客がぞろぞろとバスから降りては、まずゲストハウスに入ってゆくのです。

私たちも、そのほっとする空間へと休息を求めて入ることにしました。

吾妻小富士の火口いわゆるお鉢は、小学生の時には父親に連れられて登り、中学校の時には遠足で登り、そして高校の時には山岳クラブの合宿で登ったことのあるところです。しかし、いつ登っても同じような感動に包まれる空間でもあります。

今回も雄大な自然に包まれて今このように自分の足で登ってくることができたことに対して、感謝しようと思います。またいつの日にか、機会があるとしたらそのときにも是非このお鉢に登りたいと思います。

朝早い時間帯での出発だったので、すっかりお腹も空き十分に補給をしたいと思いました。レストハウスの開店したばかりのフードコーナーでホットドックをたいらげます。それと、ここでも福島名物のゆべしをひとつずつたいらげて、残りの工程に入りました。

浄土平まで上ると、その後の行程は下り基調になります。最高表示のある1622m地点では、道路の両サイドには天井ほどの高さの雪が残っていて、まるで雪の回廊となっていました。真っ白な雪の壁に挟まれて走る感覚は、また違ったものがあります。太陽の光が壁に反射して、まぶしく私たちを照らし出すのです。

吾妻小富士から安達太良一帯は、白樺並木が延々と続きます。思ったほどには、寒さも感じなく気持ちよく軽快に下ることができました。途中、猪苗代湖を望むことのできる場所(湖見峠)で停車して記念写真を一枚。そこは今回の工程で唯一猪苗代方面を眺めることのできる場所です。

それからは磐梯吾妻スカイラインをひたすら下り、白川方面へ向かって走ります。途中赤湯温泉街を抜け、土湯バイパスに入り459号線を南下。さらに岳温泉まで降りてきて30号線へ入りミドルラインをひたすら走るとJR東北本線本宮駅に到着します。

吾妻小富士からの行程は下り基調だったこともあって快調に飛ばすことができ、気持ち良さに身を委ねているうちに駅に到着してしまったという感じでした。

サイクリングでは天候が重要な要素であることは間違いありません。今回のふる里サイクリングでは最高の好天に恵まれたために、極上のサイクリングが可能となりました。今回得た感動を思い出に、いつの日かまた走る機会ができたならきっと今日の思い出が甦ることでしょう。

さて、JR本宮駅より宝塚仁川駅まで輪行にて帰ることにします。今回も楽しいサイクリングをありがとう・・・。